新大久保 韓流から多国籍化

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 新大久保を歩く

日暮れ前、約束の1時間前に駅に着きました。

JR山手線の新大久保駅です。
しばらくぶりということもあって、街を歩いてみようというのが早くに来た理由でした。しかも、この新大久保には昨年に「竹田市ゴールデンかぼす応援隊」でご一緒いした方のお店「ソウル市場」もあります。

元々、新大久保駅から大久保駅にかけてはそれほどでもなく、新大久保駅から明治通りにかけてが、かつての韓流ブームの中心でした。もちろん、途中の路地の職安通りにかけての場所を歩いてみても、きっと穴場としての有名店があるのだろうと想像はするものの、当時のブームに興味のなかった私に詳細はわかりません。

祝日の月曜日というのも手伝ってか、人出はかなりあるように感じるのですが、最盛期とは随分違うのでしょうね。人をかき分けと言う程ではありません。ただ、確かに感じるのは、インド系や東南アジア系の人たちを多く見かけることです。
ベトナム料理の店や香辛料の専門店は、以前よりも増えたように思えます。
一時ほどに韓国一辺倒の街ではなくなっているのでしょう。

まさに多国籍。
広いアジアが密集したような街になっています。
きっと探そうと思えば、多国籍なりのお酒もありそうですね。

 40年前からは

フリーダムスタジオ
ついでに、昔その名を馳せたスタジオを確認してきました。
「フリーダムスタジオ」
失礼ながら、今もなおそこに厳然と姿を留めているとは思いませんでした。

かの「オフコース」が全盛期に入る頃、レコーディングしていたスタジオです。
この周辺はそれほど変わってないように見えます。
しかし、そこには目には見えない違いがたくさんありそうです。

韓流ブームの時の賑わいからは、かなり落ち着いてしまったと聞いていました。
この街を訪ねた翌日、ブームの時から人は2/3減ったという放送をテレビで見ました。ということは、売上がいい時の1/3になったということなのでしょうか?

40年近く前、オフコースの面々が通った街には、これほど外国の人の姿はなかったと思います。
私の後ろからは、どこの国の言葉か全くわからない会話が聞こえます。
前から来る女性は、いかにもインド系の美人さんです。
横のお店の前には、聞き慣れた韓国語の二人がいます。
すれ違った若い女性たちは、何と日本語でした。

さあ、送別会に遅れてしまいそうです。
随分と歩き回っていました。