時の長短を思いつつ 待つ先の行方

 花を待つ楽しみ

先日、世田谷の東松原駅近くの羽根木公園を訪ねた時、花屋さんがたくさんの鉢植えを並べている中に、梅の苗木もありました。1,000円前後で手軽に手に入れることができます。自宅の日当たりの良い場所に植えれば、花が咲くのを楽しみに過ごせそうです。

伊豆の河津に行った時も、満開の花の下で河津桜の苗木を売っていたのを思い出します。きくと、花が咲くまでに数年かかるとのことでした。時間が過ぎることの複雑な思いはどんな時にもあるものです。楽しみになるときや、歯がゆくなるときや、辛くなるときや…

羽根木公園の梅の苗木の近くにあった、一鉢150円の「イタリアンパセリ」と「バジル」に、むしろ目を奪われる私は「花より団子」の典型かも知れませんが、花を楽しむということは「時間」を楽しむことのように感じます。

桜の噂が出るようになると、花見酒を考え、探し始める。
夏を過ぎ、稲刈りの便りが届く頃には、新酒が待ち遠しくなる。
河津の桜の苗木が開花までに数年かかるということは、それを楽しみに手入れしながら数年待つということです。蕾がたくさんついた鉢植えの花をベランダに置くのとは少し訳が違います。待つ時間が楽しめるということは、幸せのひとつなのでしょう。

 料理を待つ楽しみ

最近の居酒屋では、「料理はすぐに出てくる」のが当たり前になり、待つ時間は無駄なだけのようです。かねてから「料理の楽しみは待つこと」だと私は思ってきましたが、「待つ」ことがイライラでしかなくなる世の中とは、本当に幸せな世の中なのでしょうか。

どんなに美味しい料理でも、口に入れてしまえば数秒で味覚としては終わってしまいます。居酒屋の暖簾を潜る前、店頭のおすすめ黒板に「桜とうふ」とあるのに気づき、さてどんな料理が出てくるのだろうと思うところから楽しんでこそ、「桜とうふ」はより美味しい料理になるのです。

小振りの土鍋の蓋を取ると、ふわっと上がった湯気と一緒に桜の花と葉の香りが湧き上がり、熱々の豆乳の中で絹ごしの豆腐がくつくつと揺れていたらどう感じるでしょう?待つということの先に楽しみを用意することこそが粋なのです。

待つことの先に、楽しみを用意できないような料理しか出せてない居酒屋に反省点は多いに違いありませんが、それに輪をかけて、楽しみを見出そうともしない無粋も寂しいものです。

羽根木公園の帰り道に見かけた沈丁花は赤と白のセットで、ちょうど満開のように見えました。

「あと数日楽しめるかなあ…」

もう、春間近です。

沈丁花