葛飾柴又 帝釈天で神輿に出会う

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帝釈天は見どころ多彩

帝釈天 (9)

帝釈天の入口の立派な山門は「二天門」と名付けられ、くぐった正面にあるのが帝釈堂です。その右隣(南側)にある一回り小さく質素に見えるのが本堂。開創は390年前というからかなりの歴史ですね。

境内に入ってぐるっと見回すと、二天門の北側に「大鐘楼」が建っています。これまで見た中でも、これは一際見ごたえがあります。そしてどうやら主役の帝釈堂の入口には、その左に立つ一本松からの枝が長々と伸びて、中央の階段を横切っているほど。
帝釈天 (26)

この帝釈堂の後ろに控える喜見城の周りの壁が彫刻ギャラリーになっていているらしいので、せっかくだからと観てみることにしましたが、いやいやこれは確かにすごいです。400円の入場料はたぶん安いと思います。私の写真では伝えきれないので、参考にしてもらって、機会があればご自分で観覧してください。

大正から昭和の初めにかけて彫られた20㎝ほどの欅の一枚板の彫刻で、80年~90年前のものです。法華経の説話をテーマにした畳一枚分よりも大判な縦1.27m×横2.27m大彫刻が10枚並んでいるのですから圧巻です。

帝釈天 (12)

そのあとは廊下を伝って本堂の横を通り大客殿から裏の大庭園を眺めると、秋の日の昼下がり、備え付けの緑茶がより一層旨く感じられます。本音はこの辺でゆるりと温燗でも飲みたい気分ではありますが…

祭ばやしが聞こえる

境内に出て歩いていると、二天門の方から祭ばやしが聞こえてきます。

先ほどの商店街の外れで見た提灯はちょうど秋祭りの最中を意味していたのでしょう。門の背丈が足りず、神輿を通すのに一苦労しながら、境内に入ってきました。

帝釈天 (30)

お寺の境内で神輿を見ることなど滅多にないはず。しかも帝釈天の境内とは、思わぬ遭遇には驚きと偶然への感謝です。

かつてはこの周辺でも田畑が広がっていたでしょうが、現在では収穫に感謝するという色合いは実感からは遠くなっていそうです。江戸の時代は庚申の日に帝釈天に参詣すると、魔除けと不老不死にご利益があると広まり、江戸市中から三里(約12km)の道をお参りの人が連なったとか。

帝釈天 (34)
時代とともに環境も変わり、街も変わり、そして習慣が変わっても、祭りという風習はまだ残って人の楽しみになっています。古いお寺と参道には歴史だけでなく、やはり周辺の人々の生活もまだまだ根を下ろしているのですね。

参道に出ると次の神輿が来ています。祭りもこれからが本番かな?そんなことを思いながら、旨い酒を求めて柴又駅へと向かう私たちでした。