利根川と江戸川をつなぐ運河

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 利根運河

利根運河とは、これは有名な話だったのでしょう。
私はこの利根運河について、全く無知でした。
佐原の町を訪れた際に、町が栄えたのは水運の利があったからと聞いて、実際はどう舟を運航したのだろうという疑問がわきました。
米などの穀物だけでなく、佐原の酒も運んだはずです。
佐原の町を流れる川には、荷物を上げ下ろししただろう場所があり、川へ降りる階段が残っています。

荷を積んだ船は、まさか利根川を下って太平洋に出るわけはなく、利根川を登ったのです。さらに利根川と江戸川がつながる場所といえば、古河の近く、東北新幹線が利根川を渡る辺りまで行かなければなりません。

そう思って調べてわかりました。

下記のホームページで少し詳しく出ています。
国土交通省: 江戸川河川事務所
利根運河は千葉の流山の辺りで運河を掘って、利根川と江戸川を繋げたのが1890年で、盛時では年間2万隻が往来したというから、かなりなもんです。
それまでは、やはり分岐点まで行って折り返すか、この流山で陸路を継いでまた、舟に載せかえて運んだそうです。
現在の常磐道のすぐ西側です。
やがて、1941年頃にはほとんど利用されなくなったようですが、これも時の流れと言うのでしょう。しかし、50年にわたり流通の根幹を支えていた。
佐原の町が寂しくなっていったのは、きっとその頃からなのでしょうから、すでに、一世紀近くが過ぎようとしているのは、実感としてありません。

 流通はスピード第一

昔も今も、流通はスピード第一なのは変わりません。
それによって栄える町も変遷します。
人が歩いて運ぶことから、馬車になり、舟になり、そして鉄道が取って代わり、自動車になり、空まで飛ぶようになった。
人と荷物が動く場所から経済が動くことは変わらない。そしてこれからも、どんどん速くなり、より速くできた人が、そして商売が、勝つ?

現金があれば成り立った時代から、今では人がまだ手にしていない、未来の収入までが当てにされる。まるで架空のような取引をされることも、既に行き詰まりのように思えます。

酒がテーブルに届くのが待ちきれず、イライラする。
焼きとりが3分で目の前に並ばなければ、不機嫌になる。
これでは、何のために酒を嗜み、料理を楽しむのか、まるでストレスを追加するような、本末転倒に見えてきます。
ボウッと川面の舟を眺めていては、置いて行かれるだけなのでしょうか?
速いことは、そんなにも素敵なことでしょうか?