大家と店子 厄介な現実 夢が泡

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 大家さんより手強い

居酒屋を営業するにのに、大家さんとの関係は何より重要です。
その町の、その商店街の価値を大家さんが実際どれだけわかっているか、じつはこれは意外に怪しいものでした。
それは高田馬場にある店。
早稲田通りから路地を入った住宅街に近いこともあり、店のお客様の外での話し声や、店内の物音に、そのビルの上に住む管理人さんの過敏なほどの反応がありました。お客様がいない時間に「うるさいんだけど」と電話が入ったこともあります。
この先は私の店の非も認めた上での話です。

その管理人さんは、私の店の大家さんではありませんし、大家さんは上に住んでもいませんでした。大家さんは、ほぼ管理人さんの言いなりという感じです。そのために、管理人さんは大家さん以上の存在でした。
当時、家賃は40坪で40万円でした。20年以上に渡ってそこで営業していたこともあり、大家さんは「安い」と思っていたようですが、私は立地や他の条件から「高い」と思っていました。ここで先ず大きな矛盾があります。
話す機会がある度に、管理人さんが私たちに出て行って欲しいと考えていることは、アリアリと伝わってきます。

その当時は、長く続けてきたお陰でなんとか利益の出る商売はできていました。 しかし、すでに店も古すぎて、お客様の居心地や将来も考え、全面改装をしなければ難しいほどの状態になり、継続契約も含め、重大な結論を出す必要が生まれる事になりました。
結局は閉店することに決めました。
管理人さんの思う壺です。

この機に家賃を値上げをしたい大家さんとも交渉が難しく、立地や他の条件が将来に利があるとも思えず、会社としてもそう判断することになりました。新たに投資をする価値が無いという結論です。
店舗を撤退することは、言葉では難しいほどの思いがあります。しかも、ここは20年以上もの間、たくさんの常連さんからも可愛がられていて、業績不振が理由でないだけに尚更でした。

 任せっきりの現実

常連のお客様と歴代の従業員を集めてのお別れ会や、感謝のイベントは閉店前に精一杯やりました。お陰で、たくさんの思い出を共有できた人たちも数えきれないほどでした。
「自分たちを追い出したら、きっと借り手はないよ」と私たちは話していたものです。
あれからもう、10年以上が過ぎています。


JR高田馬場駅とは徒歩4分ほどで、明治通りに近く、早稲田通りから細い脇道を20メートル入った立地のため、駅前というわけには行きませんでした。
早稲田通りの入り口にある1階の物件は、家賃が坪当たり4万円という話も聞きました。ところが、そんな条件では商売にならず、短期間で次々に変わってしまう状態です。そんな物件にすぐに次が決まるのも不思議ですが。

一年ほど前に、店があった場所に行ってみました。
私たちが撤退してから今もなお、「テナント募集」の看板が物件の前に掛っています。借り手がつかぬまま、10年以上。
昔の仲間が電話で不動産屋さんにきいたところ、家賃は確か28万円だったそうです。しかも「飲食店不可!

正直、そんな場所で飲食店以外は商売になるはずもないのですが、これは大家さんではなく管理人さんの意向に違いありません。認識のズレは溝を埋めていません。
大家さんが信じたい自分の物件の価値と、店子側が思う価値は、これほど大きな開きがあります。

管理人さんの言いなりになるしかなかった大家さんではありましたが、これほどに次の借り手が見つからないとは思いもしなかったはずです。この10年間で、40万円×120ヶ月、4,800万円を大家さんは損したことになります。本当なら50万円×120ヶ月、6,000万円の収入をを大家さんは内心目論んでいたのではないでしょうか。その差は1億円を超える額です。勝手に私が計算しただけですが、夢が泡と消えた現実がここにあります。

最後にこれは伝えておきます。

今その場所が、家賃20万に下がっていたとしても、私は絶対に手を出しません。