じゅんさい 順菜 順才の夏

 何が正しい

漢字にすると何が正しいのか全く知りません。
夏が近づくと、いつもじゅんさいを思い出します。
じゅんさいといえば「秋田」。

しかし、私などは小鉢での和え物、酢の物、そして吸い物、茶碗蒸しがほとんどで、他の料理ではあまり口にしたことはありません。地元では私の知らなかった「じゅんさい鍋」という、じゅんさいのたっぷり入った料理をよく食べているそうです。

東京では、自分で求めないかぎり、どこかで自然にじゅんさい料理が出てくることはありません。今は八百屋さんで置いていることはないでしょうけど、スーパーでは見かけることはあります。従って、居酒屋などで出会うことが、ひとつの楽しみです。
ところが、最近ではそんな居酒屋さは積極的に探さないと、滅多に見なくなりました。
季節に敏感で、旬のものを置いて、という店が減っているように思えたなりません。これは結構寂しいものです。
私はそれこそが居酒屋の正しい姿と信じていますからね。

 おいしいものの定義

何が美味しいものかなんて、結局は共通項も原則もないのだと、このところ思い始めました。
そんなのそれぞれの勝手だから、放っておけばいいと。
獺祭50の純米大吟を、本当に嬉しそうに「美味しいねえ」と言って飲んでいる人もいれば、「これはチョットなあ」と言う人もいます。
同じく天狗舞の山廃純米のグラスがどうしても空かない人もいるし、「これはたまらない!」と舌鼓を打つ人もいます。
これはどちらかが正しいわけではないでしょう。ただ、流行や誰かの意見に左右されることはありそうです。
利酒師の役割は、2種を薦める時、どちらかに肩入れするのではなく、特長やそれを活かす飲み方を提案して、お客様が選択する目安にしてもらうことです。
その人にとって、好きな物は美味しい物なのです。
他人が余計な口を挟むとろくなことがありません。その辺の議論はしないほうが得策です。
「じゅんさい」は味に飛び抜けた特徴があるわけではなく、食感や喉越しに美味しさを感じるものだと理解しています。
やはり四季のある日本だからこそ、他国と比べ季節ごとの素材が色を添えて、楽しみが倍増しているはずです。
これからも季節に遅れを取らぬように、自分の美味しいものと出会うチャンスは大切にしたいですね。