バブルから30年 消えた泡から学んだものは

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 バブルをくぐり抜けて

最近は減ってしまった居酒屋の深夜営業。
かつて居酒屋が深夜営業を始めたのは、その後のバブルへの予兆です。
居酒屋の数が増え初めた1983年頃。深夜営業を始める居酒屋も当たり前のように増えていきました。バブルで浮かれ始める少し前です。店が増えても、深夜の売上も同じように伸びていきました。

繁華街の店舗は別にして、表通りの店の方が深夜忙しいとは限りません。遅い時間の仕事帰りに寄るものだと考えるのは先入観に過ぎません。言葉は悪いですが、深夜のお客様とは、夜の灯りに寄ってくる虫のように、どこからか湧いてくるものです。それこそが深夜営業をよく知っている店ということになります。ブームでは長続きしません。
バブルに入ってからは世の中の店舗数が一気に増加したこともあるでしょうが、私の記憶では、バブル前の2年間の方が、バブル期よりも各店舗の総売上の伸びは良かったように思います。

一般には1986年12月~1991年2月までがバブルの期間と言われているようです。今の40代の人たちも、ほとんどが社会人としてバブルを実体験してない世代になっています。あの頃は、平日でも新宿で終電を逃すと、2:00迄待たないとタクシーには乗れないほど。なにしろタクシー乗り場に人はずらりと並んでいるのに、タクシーは一台もいない。現在とは丸っきり逆です。

バブルというだけに、弾けるまでは幻のようなものですから、地に足の付かない商売をしていた所は、その後みんな苦しくなりました。しかも低迷が長すぎると、それ以外の所までがおかしくなってしまう。普通に戻ったのだと割りきって、早く切り替えることができた所から、順に立ち直ったというべきなのでしょう。

 変革とは 変えて新しくすること

居酒屋はまさにバブル期の象徴のようなものです。
ある意味、あぶく銭を使ってもらうことで急成長しました。
泡が消えれば、存在価値が改めて問われるのは当たり前のこと。

居酒屋というと、店舗での臨機応変の対応力は優れていると思います。ところが、経営力となるとどこを見てもなかなかに優柔不断です。手直しでなんとかしようとして、深みにハマる姿を沢山見てきました。根本に立ち返って、一から作り直そうとするまでに時間がかかりすぎ、手遅れになります。

人はだれでも、特にベテランになればなるほど、変えることを嫌います。居酒屋で言えば、動線を良くするために、お皿の位置を変えるだけでも嫌がったりします。どんな業種にも当てはまるのではないですか?
料理を作るということだけ見れば、製造業のように見えますが、お抱え料理人だと思えば、間違いなくサービスを提供する仕事です。
世の中で「サービスします」と言う言葉が、まるで「無料にします」と同じ使われ方をしていることに大きな違和感があります。

変革には頭から
飲食業は人間産業と言われてきました。
私の中では「人件費をどう考えるか」か、大きく変えて新しくするテーマではないかと思えてなりません。
例えば、22時以降の勤務には25%以上の深夜手当を支給しなければなりませんが、22時以降の居酒屋の料金を10%上げることさえ、世間から「当然だよね」と評価されるとは思えません。
先ずは自分の頭の中の思い込みを排除することから始めなければならないと思っています。いかに人に経費をかけ、人件費率を上げられるかがそれです。

バブル全盛の頃はめったに見なかった日本酒の「発泡酒」が、バブルの弾けた後になって、「微発泡酒」として様々に世に出るようになったのは、皮肉です。
お酒をより美味しく飲んでもらうために、料理をより美味しく食べてもらうために、大きく「変革」できた店が勝ち残る時代になると、私は信じています。