大人の遊び場だった街 鶯谷

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 鶯谷駅の沿革

JR山手線の上野駅の隣に「鶯谷駅」があります。

大崎駅が今のように大きく発展したお陰で、鶯谷駅は山手線の乗降客数最下位の座を大崎駅から譲り受けることになりました。

駅近くの言問通りを渡れば静かな住宅街が続く町ですから、駅周辺の雑多な地域が独特の雰囲気を持っているだけで、本来は東京下町の西の通用口と言う方が適切のような気がします。
実は、鶯谷という地名はここにはありません。
その地名があるのは渋谷駅の近く。
そんな鶯谷という街が、もっともっと賑やかだった時代があります。
しかし私はその時代の終わる頃からしか知らないのです。
おそらくその時代は1960年代~80年代の初め迄でしょう。
ピークはきっと20年間ほどだったと思います。

 そこは大人の遊び場だった

蒲田レディタウン

この街には私が仕事をしていた店(居酒屋)があったために、お客様からたくさんの話を聞きました。
その時代、鶯谷には「グランドキャバレー」というシロモノが3軒ありました。

中でも有名だったのが「スター東京」。私がこの街を知った頃には既に2軒になっていて、すぐに残る1軒も店じまいし、スター東京だけになりました。

スター東京は2003年頃まで頑張ったものの、建物さえも今はありません。そのずい分前からホステスのお姉さんに日本人が少なくなったとボヤく声がありました。私が仕事をしていた店も、一時はキャバレーの同伴のお客様だけで早い時間が商売になった程でしたから、その盛況ぶりがいくらか想像つくことでしょう。

この写真は数少なくなったグランドキャバレーのひとつ、京浜東北線の「蒲田」に今も残るレアな名物として有名な「レディタウン」

 遊び場から消える人たち

鶯谷駅は、かの「吉原」までタクシーで向かう人も多く利用しています。南口を出た小さなロータリーでは「◯◯様、いらっしゃいますか?」との声を上げている迎車の運転手さんを見かけることもありました。

また、駅の規模からは想像できないほど何軒もパチンコ屋さんがあります。
そんなことも手伝ってか、かつてはぼんやりして歩けば、その筋の人と簡単に肩がぶつかるほど、ひと目でわかるようなオニイサンたちもウヨウヨいました。
というより、そんな人しかいないのかと思うことさえ度々でした。

ところが現在では、そんなオニイサンたちが本当に少なくなっています。たぶん、「遊び場」の街でなくなってきたから、商売にならなくなったのでしょう。ただ、山手線の線路と言問通りの間は、ずっと日暮里駅の先までホテル街が続いていいることは変わっていませんね。

以前に言問通りを歩いていると、暗い角から「日本人の子がいますよ!」と声をかけてきた立ちん坊のオバサマがいたことを思い出します。
そのセリフも含めて、時代は流れて今になっています。

 町の活性化

果たして鶯谷駅。
ここに活性化の手立てはあるのでしょうか?

ある意味良い街なのです。まばらになってしまいながらも商店街には下町の雰囲気が漂い、のんびりと散歩するには最適です。

駅の近くにはスーパーもありません。
さらに、生活に必要な商店も少ない。
住宅街に入ると、狭い路地にほとんどが戸建てのお宅で、それなりなお大きさのマンションも少ない。

普段の生活には、意外に不自由かもしれませんね。

大繁華街の上野へは歩いても10分余りで行けます。
南口からゆるい勾配の坂を南に登れば、上野公園の端、東京国立博物館までは徒歩で5分とかかりません。
きっといつか賢い人たちがいい案を思いつくことでしょう。
しかし、「再開発」という「再破壊」だけは止して欲しいものです。