大雪の東京で教えられたこと

  東京の苦手な大雪

数年ぶりという大雪に見舞われた東京の町のニュースがテレビでは何度も取り上げられた。電車が動かないとか、バスを待つ人の列が果てしないとか、車の事故があったとか、滑って転んでけが人が出たとかとか、賑やかに喧伝されていた。

毎日仕事に出かけていた状態から少し離れた私は、雪の積もった朝、その日は出かけなければならない用事がなく、晴天の下で今回は雪かきでもしようと表に出た。

そこは北側で陽も当たらず、放っておけばいつまでも雪は溶けないで10日以上居座るに違いない場所だ。もちろんその前の道路も同じ状態で、自分たちが通行するにも支障が出る。これまでの積雪の時は自分の仕事を理由に、同じマンションの他の人たちに任せることで過ごしてきた。
今回は自分も雪かきをしながら、「ああ、なるほどなあ」と世間のニュースには出ないような、気になったことを少しまとめることにした。

 誰が町にいる

さすがに普段と比べても車の通行量は格段に少ない。カチャカチャいわせながら、タイヤのチェーンが自己主張している。目立つのは宅配便の車くらいだ。
見回すと朝から昼にかけての東京の住宅街は年寄りと女性しかいないことが如実になる。
小さな女の子の手を引きながら、お母さんが一人ではしゃぐ男の子を連れて、足元を気にしながら幼稚園に向かう姿が見える。
遠くに腰の曲がった老婦人がチリトリを手にして雪を寄せている。

私よりも年配の男性がシャベルを手に「こっちはいいよ、自分がやるから」と言ってくれる。


ひと通り終わらせて近所を歩いてみることにした。
アパートの前の道は誰も手を付けず、雪はそのまま車が通る度に撒き散らされ踏み固められて行く。
世間話をしながら雪かきをしている奥様たちがいる。
酒屋さんは前も横もきれいに整えられている。
スパゲティ屋さんもしっかりと歩道の雪は端へ寄せている。
歯医者さんの前も雪は残っていない。

 本質が見える

大手◯◯新聞の販売所がある。
道の真ん中から自分の側の雪はある程度寄せている。従業員らしい人たちは出入りしているが、これ以上のことは考えていないようにみえる。
その隣は近所の鳶の親方の家だ。祭りの時は毎年その前に町内の有志が集まって締めを行っている、要は町内の元締めのようなところ。
親方の家の前は当然に雪かきをしているが、道を挟んだ向かい側の駐車場の前はそのまま。翌朝には凍って大変なことになるだろう。

こんな風景に私は隠れた本質を見たような気がした。

「ご近所なんで新聞をとってくれませんか?」という勧誘は誰もが何度も経験している。お客様に対して、そのセリフに裏はないのか?
現在、新聞は売れなくなった。特に家庭への配達はどんどん需要が減っている。しかし、販売所は新聞本社からの庇護がしっかりしているせいか、あまり危機感をもっているとは思えない。新聞の配達はご近所とのコミュニケーションなくしては成り立たないはずだ。こんな雪の日、休憩時間の問題はあっても、昼間に人がいないわけがない。自分の都合の「ご近所」を押し付けているだけでは拡販は無理だ。

たぶん翌朝にはご近所のお婆ちゃんが雪かきした道にバイクを走らせて、当たり前のように新聞を配達するのだろう。

町内の祭りを仕切る元締めが、ご近所の「困った」にもっと手を貸すことは必要ないのだろうか?昼でも賑やかに人はいたようだが…
私が歩きにくいのが嫌だから、私はその元締めの前の道の向かい側でシャベルを動かしていた。凍りついていからでは厄介だ。

シンシンと冷えるその夜にぐい呑を手にして、筋肉痛を手柄に、こんな思いを肴にしながら、自分への褒美の燗酒を楽しんでいるのだった。