280円均一の居酒屋に学ぶ

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 280円均一の先駆感

ある居酒屋チェーンが280円均一の新業態店舗をオープンして大ヒットし、あちこちの話題をさらったことがある。タッチパネルを各席に用意して注文はお客様に自分で入力してもらい、そのぶんで人件費をカバーしようというのも画期的なやり方だった。

当時の勢いとしては、現在24時間営業を打ち出して店舗を増やし続ける浜焼き海鮮系居酒屋と匹敵するかも知れない。新宿だけでも何店舗もあって、世間では「安い」と評判になり、こぞって利用した人も多かったことだろうが、今ではどれほど残っているのかわからない。しかし、調べてみると意外にまたまだたくさんあるようだ。
私はその280円均一の居酒屋を一度だけ利用したことがある。
その時、私たちの後ろで2人で喋っていた従業員に飲み物を頼もうとしたら、
「そちらで注文してください」と機械を指さして言われた。
覚えているのはこれだけで、料理の内容も何も全く覚えていないが、たぶん1時間ほどで会計を済ませで出てきたと思う。

280円はそのうちすぐに270円均一になっていた。

そのしばらく後、ある業界誌だったか何かでそのチェーンの社長へのインタビュー記事をみた。
「これまで居酒屋は高く取りすぎていたんですよ」というような内容のコメントが紹介されていたのは忘れない。その会社はそれまで豆腐料理などを中心とした4,500円ほどの客単価のお店を多く出店していた。もちろんその店にも行ったことのある私としては
「そんなこと言って良いのかなあ…」というのが正直な感想だった。

 失われた20年

当然真似するところも増えてくる。しかし、鳥貴族さんはこの真似ではない。今では関東でもあちらこちらで見かけるが、先ほどのチェーンの店とは一線を画して伸ばしてきて、昨年280円を298円均一に値上げして随分と話題になった。

280円均一が価格破壊になるかどうかは別にして、それで売上と利益を確保するにはかなりの緻密な計画とシステムの構築が必要だ。お客様に満足感を与えてリピートさせることができるかどうかも重要なテーマだし、支払額が安いというだけで満足につながるほど簡単ではない。

もしもリーピートなど考えず、一過性の流行で終わるとすれば、3年で元を取って転身するだけの爆発的な力も必要になる。

失われた20年といわれる中で、高いものは売れない、売るには少しでも安くして勝負するという消耗戦に陥った日本。飲食業界もその波には逆らえず、低単価業態ばかりが新しく生まれた。立呑の店も見直され、「センベロ」と千円でベロベロに酔えるという情けない単語まで生まれた。
原価であれ人件費であれ、売上比率をどうするかで店造りはまるで違うものになる。安く売って利益を出すにはFLコスト(原価+人件費)をどんなバランスにするかは重要な問題。果たして低単価業態の未来はあるのか?これが誰しも興味のあるところかも知れない。

 居酒屋の価値

どんな居酒屋がお客様に求められ、長く続けていけるかという質問に正解はないに違いない。ただ、私がそれを常に考える時、お客様と従業員の接点をどこに置くか?が結局の答えに近づくように思える。

前の280円均一の居酒屋が勢いをなくしたのは単に飽きられたからとは思えない。鳥貴族さんが値上げ以来前年比売上で苦しんでいるというデータに「値上げをしたから」と結論付ける人もいるが、私にはそうとは見えない。鳥貴族さんの原因は、業績が良かったがゆえに出店ペースに従業員育成が追いつかず、商品他の価値がいくらか下がってしまい、値上げと共にそれが目立ち始めたのではないかと考えている。
誰しもお馴染みの店があるはずだ。そしてそこは生ビールとハイボールが190円だからだろうか?鶏唐揚が190円だからだろうか?誰が料理を作ってくれても良い、誰が運んでくれても良い店にあなたは足繁く通うだろうか?
いつもの親父がいるから、笑顔の素敵なあの娘がいるからとかが理由ではないだろうか。
以前に居酒屋で仕事をしていた頃から、私は常々こう言い続けていた。
「うちの店の一番の商品は従業員ですから」と。
今後更に人手不足になり、採用にも四苦八苦し、店の継続にも支障をきたすことが想像できる時代に、従業員が仕事を続けるモチベーションをしっかりと保ち、未来へつなげることができない限り、結果が目に見えるようだ。

飲食店の従業員の成長やモチベーションや承認欲求は、お客様との接点から生まれることが自然だろう。私には人件費を使って何をするのかが明確な店舗こそが生き残れると思えて仕方ない。

仕事をするには暇で楽な方が良いと考えている人を除いて、店と仕事に何らかの生きがいを見いだせることが欲しい従業員を手に入れるには何が必要か。そういうことを大切にして努力している店に、私は通いたいと思う。