寿萬亀 序章 保田小学校

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 千葉の不思議な地形

アクアラインの海ほたるに寄ってから木更津を経由して富津の方へ向かう。
特に当てがあるわけではないが、春の一日を気の向くままに走ってみようということで、最終目的地だけは外房の御宿と決めている。
館山から海岸沿いに行くか、途中からショートカットで山越えをするか、運が良ければどこかで酒蔵に出会うだろうと、それさえも未定のままだ。

海ほたる

千葉県とは不思議な地形で外から想像するよりも半島の南側は山国だ。
千葉県の中部から北部で山のある景色はあまり思い浮かばないが、南部になると広い平地が殆どない。
大原から「いすみ鉄道」の通る盆地にある町の大多喜がその昔の中心地だそうだから、外房の交通の便の悪さは推して知るべしというところだった。
今でこそトンネルなどで無理矢理に道を造ったお蔭で海岸線に沿っても進めるが、過去の時代などは細い道の山越えが相当な難所だったに違いなく、内房から外房へなど交流はなかったのではないかと思える。
九十九里の景色が千葉の海岸線の代表ではないのだ。
千葉県で最も標高の高い場所でも400mちょっとだそうで、それは各都道府県の中では一番低い。だが、千葉の南部の海沿いの感じはどこか伊豆半島と似ている。
お互い東西を行き来するには限られた道しかない。

 道の駅「きょなん」

富津を過ぎ久里浜とのフェリー乗り場のある浜金谷も横目に見て進む。そしてその先の道の駅「きょなん」で一呼吸おいた。
ここは何というか道の駅と言うよりは、広い駐車場と「菱川師宣記念館」と立派な公民館が奥にあり、道路からその敷地の入口に黄色い小さな建物がある。
そしてそれこそが食堂兼売店がある道の駅きょなんだった。
道の駅きょなん
http://www.town.kyonan.chiba.jp/kyonan/categories/machi-04/
鋸南町の施設の一つらしくある意味微笑ましく感じた場所だった。
ここでさてこの先をどうしようと相談し、少し戻ったところから話に聞く「道の駅保田(ほた)小学校」に向かって行くことにした。
そこから鴨川へ抜けることができる。

 道の駅保田(ほた)小学校

廃校になった小学校のイノベーションとして生まれ変わった道の駅だと聞いていた。確かに立地さえ合えば施設そのものは道の駅に変えるには最適かもしれないと思っていただけに、ここを訪ねるのは自分の興味としても十分に楽しめそうだ。私が全く写真に収めることをしなかったのでそれを紹介することができないのはご容赦願いたい。好天に恵まれ明るい日差しが降り注ぐ校庭?だった駐車場は平日ということもあって車はまばらだった。

道の駅保田小学校
https://hotasho.jp/
多くの道の駅と違いここは飲食と土産物コーナーだけではない。
子どもたちが遊べる「こどもひろば」、ミニコンサートでも使える「音楽室」、広い二階の廊下をテラスのようにした広場がある。
さらに合宿や個人の利用にも対応した宿泊施設に、温浴施設までがある。
土産物などの販売は体育館を利用し、他の飲食などは各教室を上手く割り振り、地域の観光案内のコーナーも用意してある。
元々の建物を最大限に利用したアイデアあふれる道の駅だと思う。
土産物の体育館にはもちろん私の好物の地酒もある。
房総の花、地元の名産や野菜を並べるだけでなく、「保田小学校」に特化した商品をオリジナルで豊富に並べている。
洒落の効いたものが沢山あり、思わず笑いがこみ上げる商品が多く、保田小学校のお土産としてはこの上ない価値を作り出しているのには驚いた。

 廃校は仕方ないにしても

今では東京の中心部でも廃校になる小中学校が珍しくない。
そんな時代に元学校だからこその利用にチャレンジしているところの話はよく聞く。各教室をモノづくりのワークスペースのようにしていたり、利用の仕方は多くの人がアイデアを出して取り組んでいる。
きっと立地に合った使い方は必ずあるのだろうと、この保田小学校の跡地を見て思い知らされた。町の一つの財産として、投げ出すのではなく活かすことができればこれは幸いなことだと誰もが思うに違いないが、それがそう簡単に行かないのも事実。
古くカビの生えたような常識や規制が邪魔をすることだってある。
廃校には耐震の問題が理由の場合もあるだろう。しかし処分を考えるだけではなく、せっかく造ったものをどう維持して活かすかは、この国の大きな課題のように思える保田小学校だった。
さあ、そろそろ先へ進もう。
何か面白いものがありそうだ。