国として車を捨ててみないか

 岡山駅西口・奉還町商店街

昼食を友人と共にした店は、当然昔にはなかった。
以前には映画館だった後だときいてもピンとこなかったが、それだけの広さは十分に感じることもでき、時間や時代の移り変わりを思い知らされることにもなった。
友人と別れた後はとにかく歩き回った午後だった。
懐かしい場所を順に訪ねながら、昔の景色と比べての間違い探しをしたような時間になった。
先ほどの店がある奉還町商店街も今ではすっかりと様変わりし、活気などどこにも見えてこない残念な街になっている。
何しろ人がいない。

明治維新の後、奉還金を元手に武家たちが店を構えたことが始まりだったと、商店街の中に説明書きがあった。
私の記憶でもかつては食品スーパーや人気のレストランがあり、昼間の人波も相当なものだったが、今の景色の中心はシャッターだ。
すでに商店街ではない。

やや外れた場所には、かなりの昔、放課後に仲間たちと偶にたむろした店は「はちのす」の看板もそのままに残っていた。その隣りにある「お竹まんじゅう」は店の姿こそ違えど、まんじゅうは変わりなく販売されている。ここは一度店をやめていて復活したという情報もあるが、すでに離れて久しい私に真偽は不明だ。どちらも立ち寄るには胃袋に余裕がない。

多くの高校は女子校や男子校が共学になったり、校名も変わったり、私には理解することすら困難な現状になっている。私の出身校は公立の中高一貫校になっていると聞いた。
どんな町も状況も、変わることで次のステージに進んできた。結果が正しいかどうかはともかく、変わることでしか前へは進めない。特に停滞は罪悪のように言われた時代もあった。

 岡山県立総合運動場

昔に歩いた道をもう一度、懐かしい公園まで。
当時、日陰を探すこともなく昼寝をしていた池の畔の芝生で、空を眺めてみる。誰かと議論を重ねたベンチはどこだったろう。
陸上競技場はおしゃれなスタイルになり、体育館は場所を変えアリーナの名称が相応しい姿になっている。

野球場の佇まいだけは昔のままで、耳にあの頃の歓声が蘇る。
この公園にも今では駐車場がある。
時代は変わり、幹線道路も様変わりして、より車社会に即した環境に変わった。昔しか知らない者には道にさえ迷い兼ねない町が出来上がっていることを思い知らされることが多い。
この公園から程ないところにある池田動物園は、よく頑張っているのか、ほそぼそとでも続いていると聞いた。
町中にあった酒蔵はとうの昔に姿を消している。

 岡山駅前商店街

かつてはアーケードの下で人通りの絶えなかった岡山駅前商店街は、閑散として疎らな人影が残るのみ。
店舗の半分は奉還町商店街と同じく、昼間でもシャッターで閉ざされている。
どちらもアーケードのある昔ながらの商店街だったが、面影もないような寂しさだ。「町」はどうかわからないが、「街」が活きているとは思えない様相になっている。
おそらく、この商店街の中に大型商業ビルができた頃から商店街は陰に回ってきたのだろう。しかし、その大型商業ビルさえも改装したとは言え、現在に人が寄り付いているとは思えない。
昔むかし、各地方都市に鉄道の線路を通そうとした際に、街の反対にあって当時の繁華街から離れた場所に駅を作ったことは、どこでも当たり前の話になっているが、今はそのせいで街は分断されたり、一方は廃れたりという現状を突きつけられている。

 本当に意味するもの

ところが、すでにそんなことさえも街の活気を左右することではないのだろう。東京などという場所に住んでいると見えてこないことが沢山ある。
この岡山の駅近くの商店街が廃れていくのは別の理由なのだろう。
これは全て車文化が壊したに違いない。
多くの人が自家用車を持ち、ローカルの駅さえ利用しなくなり、繁華街では駐車場のないことが「不便」になる。
どの地にもそれに呼応した新しい街が郊外にできた。
車を中心にした「便利」社会がかつての街を壊した。

そのお陰で、地方では特に車がなければ生きていけなくなった。
果たしてこれを発展や発達と呼んで良いのかどうか、私には大いなる疑問としか思えない。
大胆ながらも、やはり日本は一度、車を捨てることを考えて国を造り直してはどうかと、つくづく思うこの頃だ。
「構造改革」などというまやかしの言葉ではなく、根本でで誰もが「当たり前」や「常識」で正しいと信じていることこそを、「壊して」「捨てて」初めから新しい価値観で作り直す発想でなければ、世の中は変わりようがない。
目先を変えた「改善」という工夫ではすでに手遅れになっていないか?
これ以上に国が壊れない前に、そう思えて仕方ないのだ。