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飲食店の選び方?
いろいろなサイトを見たり、何年も飲み歩いてきた身としては、それぞれの飲食店を評価することは意外に困難です。
しかも、自分が居酒屋で長年仕事をしてきたとすれば、尚更のことです。
どんな問題も同じでしょうが、飲み屋(居酒屋)も、お互いの価値観のぶつかり合いですから、正直答えなどありません。
お客様の求める価値観にピタリとハマったら、案外に繁盛したりするのです。流行に乗れるかどうかという業態は、如何にもこれですね。
ところが、昔ながらの価値観に漬かりながら、歴史とともに暖簾を守り続けている居酒屋がたくさんあることも事実です。
割烹や小料理屋とは違い、「一杯飲み屋」という方がわかりやすいかも知れません。酒を飲むために寄り、それに見合うように手軽な肴で酒をおいしくする。この原点は「角打ち」に繋がるように思います。
「飲もう」と思って店を探すのか?
「食べよう」と思って、店を見繕うのか?
動機の発端が全てのようにも思えるのです。
大國家が守るもの
「ドジョウを食べようか!」と言って、友人と暖簾をくぐったのが「大國家」。
渋谷区笹塚の駅すぐにある居酒屋。きっと創業数十年という店だと思います。
今どき、「どじょう鍋」を定番メニューにしているところなど滅多にない。だからこそ、ここに来ればドジョウを食べられるのです。
山椒がピリッと効いて、夏の暑さを〆る清涼感はたまりません。
さあ、もうひとつ何か行こう。
そこで選んだのが「くさや」。
こんな取り合わせで良いのかとは思いながら、殆どの店から追いやられて、存在すら忘れられそうな料理が私たちの前に並ぶことになりました。
懐かしがって並べたのではなく、「美味しいから食べたい」という思いから選んだ料理。でもこれは、きっと現在の常識からは外れてきているのでしょうね。都会では生きたドジョウを見たことがなく、「くさや」などは、幻にもならず、臭いが故に、存在すら消されて知られなくなった料理(食材)は、さらに廃れていくことは明白に思えることです。生活の必要性に根ざしていた文化が、いつの頃からか生活には関係なくなり、文化としてさえ存在感を主張できなくなる。生活スタイルの変化とともに、価値までが変わりそうな、前にも記事にした滋賀の「鮒ずし」然り。
酒にまつわる文化の変遷が、今まさに再編成されつつある。
私たちはいつまで、この日本の歴史に育まれた食文化の恩恵を受けることができるのでしょうか?
盃を傾ける向こうに見える景色は、姿を残すことができるでしょうか?