地酒は二級の方がうまい?

 地酒は二級の方がうまい ?

「地酒は二級の方がうまい」と、まるで落語ネタのように言われたことがある。
地酒ブームと言われた30数年前、そんな不可解な言葉が歩き回った。
しかし、私が知るかぎり、そんな事実は一度もなかった。
敢えてその言葉を言い換えるとすれば、
「二級は地酒の方がうまい」、あるいは
「地酒は二級でもうまい」ならば、それも然り。

今では、等級表示などという時代があったことを知る人が少なく、その意味するところも明確でないのだから、致し方ない。

かつての等級とは、メーカーが「この酒を一級で売りたい」「もちろん特級で」と言う時に国税庁に申請し、監査を受けてその許可をもらっていた。
当然だが、その等級の申請には一定の基準があって、それを満たした造りでなければならない。しかし、ほとんどが数値(アルコール度数、生産量など)さえ満たしていれば、味にあまり関係なく許可されたという。
それは当たり前だろう。
一級・特級のほうが二級よりも税率が高く、国への実入りは良くなるのだから。

私の経験では、地酒の一級は、同じ銘柄の二級よりも、やはり品質は上だった。

 二級で売らざるを得なかった

地方の弱小蔵では、やはり地元で飲んでもらう必要があった。
そのためにはいくら品質が良くても、監査(申請)に出さず、二級で売ることに甘んじた酒も多かった。
監査に出さなければ全て二級となるのだ。
何故なら、一級となれば酒税が高くなり、その分の値上げをしなければ同じ利益にならない。地元で飲んでもらうには不可避だった。
当時、大量生産した大手の二級酒と比べて、手塩にかけた地酒の二級酒が旨かったのはこれが理由だろう。
本当は一級で売りたくても、こうして二級のまま、手にしやすい価格で市場に出していた苦しい事情があったからなのだ。

「地酒は二級の方がうまい」という、まことしやかな言葉の本質はここにある。

私たちの周りにはこれに似たことがいくらもあるに違いない。
本質を見ずして、世間の噂話しにすぎないことを信じていることはないだろうか?
言葉に惑わされることを避けるために、私たちはアンテナを敏感に働かせ、本質を見極める目と耳を養わなければならない。
いや更に、胡散臭さも見抜ける鼻も鍛えたいものだ。
本来なら、特級や一級で売りたかった品質で造っていた地酒の蔵元が、そんな冷遇から、今、新たに個性を磨いて我々の身近に自慢の「銘酒」を届けてくれている。
感謝の思いと一緒に、新しい未来を見つめながら味わいたいものである。
※ 平成になって間もなく日本酒の等級(二級、一級、特級)が廃止になり、代わって、特定名称(純米、本醸造、吟醸、大吟醸など)が採用された。