新型コロナ禍で飲食店が提供できる「安心」は

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 2020年晩秋の東京

2020年11月、小春日和の昼前。
東京の赤坂にある取引先を訪問した後、その陽気に誘われてふらりと都心の散歩を決め込んだ。
青山通りを西へ向かう先に神宮外苑がある。きっと銀杏並木も見頃だろうと人通りの疎らな歩道で思っている。

東京で確認された新型コロナ感染者が一日500人を超えていた。
飲食店にまた時短要請などの自粛要請が出されるんだろうなあ、と思いながらの道行き。
うららかな陽射しとは真逆の、底冷えをさらに煽るような施策。
どうなることやら…

2020年春の浅い頃からドンドンと蔓延して、まるで世界を席巻してしまったような新型コロナウィルス。その頃から誤解を招かぬよう、また誤った判断を発信しないよう私のブログでの拙書も控えてきた。
多くの専門家の方たちが言葉を尽くして解説している姿からある程度の知識も持ち、行政の対応もみてきた。

すでに個人個人は、そして各店舗店舗は自分たちでできる安全対策はほとんどが万全に整えている。でなければ誰からも相手にされない雰囲気ができあがっている。店舗にすればマスクだけでなくフェイスガードやグローブ、飛沫防止の間仕切り、割高になったアルコール製剤も揃えて客席の間引きまで行っている。
安全を確保するための言いつけはみんな律儀なほどに守っているのだ。
そんな中、行政は「さらに自己管理しろ!気を抜くな!」と言うだけ。

神宮外苑 銀杏並木

 神宮外苑の銀杏並木は絶景

東京の秋は深まり神宮外苑の銀杏はまさに見頃の風情に包まれていた。
本来なら多くの居酒屋は年末の忘年会戦線に突入し、一年で一番の売上に向けて必死になる頃だ。
私はそんな時の気休めとして時間があればこの眺めを見に来ることが毎年の楽しみだった。
今年も銀杏並木にコロナは関係なく梢の葉はきらめいている。

飲食店にとって席を間引いたり営業時間を縮めたりはそれだけで赤字が約束されてしまう。食中毒に対する安全と感染症に対する安全はまるで違うが、飲食店が保健所からもらう営業許可は食中毒に対しての安全がマストで確保されているということだ。
飲食店が確保する安全は絶対でなければならないのだ。
しかし、お客様にとっての来店動機は安全だけではない。安全は当たり前であり、その安全を信用できなければ誰も行かないだけで、飲食店としては勝負の土俵に上がることが許されない。

では、飲食店が他店と勝負をするものとして何を大切にしているのだろう。
美味しさ、安さ、接客の良さ、内装、清潔などか?
それらは全てお客様に満足を提供するための「安心」なのだ。

 コロナ禍での飲食店の「安心」

飲食店での「安全」とは、ここで食事しても食中毒は全く問題ないと判断する「安全」であって、それは先程も言ったように飲食店にとってはマストであるだけでなく、お客様に与える「安心」の一つでしかないということだ。
ところが現在の環境は違ってしまった。
この店で食事しても食中毒だけでなく新型コロナに感染することはないという範囲にまで広げないと「安全」が確保できないとなると、これは厄介だ。従業員だけでなく来店しているお客様のただ一人も新型コロナに感染していないことを店舗が保証するわけには行かない。

他の「安心」に繋がる要素をすべてクリアできたとしても、肝心の「安全」を店舗の努力では確保できない以上、どうすればお客様の「安心」を確保できるのだろうか?
神宮外苑の並木道を歩きながら考えていた。
この見事な景色を誰にも邪魔されず車の姿もなく、赴くままの角度から存分に楽しむには他の誰もいない時間に来るしかないんだろうなあ。それは奇跡的なチャンスだろうが…

そこで気がついた。
コロナ禍にある現在の世の中で飲食店が採れる唯一の安心策はこれしかない。
一組限定の貸し切りのみ
そのお客様が安心して一緒に飲食できると判断したお仲間同士の一組限りの貸し切りのみ。これこそが唯一飲食店が採れる安心策だ。
しかし、これで経営を成り立たせるにはとてつもない客単価が必要になる。
そうだ、その差分を政府に補填してもらおうか。

 何が解決の根本か

お客様は安全だとわかれば飲食店に来店してくれる。そうなればGoToなどのキャンペーンなどは全く不要で、戦いに敗れた店舗は潔く撤退すれば良い。
店でどんなに自己努力しても安全を確保できない以上、行政にしかできない「安全の確保」を徹底して進めてもらうしかないし、行政の役目はそれしかない。

自己努力ではもう何も解決しない状態になってしまった以上、感染者が出歩かない環境を作ってもらうしか経済は立ち直らない。
そんなこと「無理だ!」という答えがきっと返って来るだろう。
もちろん私も簡単でないことは百も承知している。
しかし、私は若い頃から教えられてきた。
無理だと自分で決めた時点で全てが終わる。
どうすればできるか、できる条件を設定しそれをクリアする方法を考えろ、と。

100%は難しくてもそこに近づける方法を徹底して考え抜き実行するほうが、座して災禍が過ぎるのを待つよりもはるかに賢明で解決も早いはずだ。
一日でも早く経済活動を通常に戻したいなら、具体的な収束策を何も示さないまま予算を補填に分散投資することではなく、何処に居るかわからない感染者を検査等であぶり出し、外に出さないという根本に集中投資するべきなのは素人が考えても常識であり自明のことだと思い至る。

頭脳明晰で誰よりも優秀な官僚の皆さんが、半年間まるで思考停止した如くに手をこまねいたまま、そういう方法を提案したり実践しようとしないで来た理由は何処にあるのだろう。
私のようなものでも考えがつくことを何故に国は方法の一つとして出さないのだろう。

随分と人気になった「忖度」は、そうしなければ官僚の皆さんの首を飛ばされるということなんだろうか?
正しいことが言えず、間違った上司に意見をし諌めることなどもってのほか、が現実なんだろうなぁ。
であればこそ、有能な官僚の皆さんは口を閉ざし、無能無策と国民に罵られても我慢を続けて裸の王様に仕えているのだ、と思い巡らす散歩道だった。

コメント

  1. オブナイ より:

    東京のような厳しい時短要請のない新潟でも、老舗の人気店も含めた居酒屋さんが立て続けに閉店しています。政治の無策は常に真面目に営業してきた零細のお店や厳しい労働環境の個人を直撃しています。最近「人新世の資本論」を読みましたが、もう資本主義システムでは社会を維持できないのではないか、と改めて思うようになっています。

    • oh@tiger より:

      コメントありがとうございます。東京だけが特別なんてことはなく、わかりやすいだけなんだと思います。改めて拙書を読み直し、近頃感じたことを踏まえて末文を少々加筆しました。資本主義かどうかというレベルでさえなく、もしかしたらもっと単純に政治家の質が低下しすぎたと考えるのが適当な気もします。誰々の息子という価値観で選ばれることの限界はすでにとうの昔に過ぎていたのに気づかない私たちだったのかもしれませんね。いやむしろ仰るとおり、これが資本主義の末路ということでしょうか。