「冷やでちょうだい」と言われる時、いつの頃からかそれは常温ではなく、冷蔵保存した酒を指すと思う人が多くなったようにみえる。
街の酒屋さんに入って、少し奥の一間ほどのカウンター越しに酒を頼む。
親父がコップを据えると、一升瓶の首をつかんで二級酒をドボドボと注ぐ。
そんな「冷や」で呑む「角打ち(かくうち)」の風景も、今は昔となった。
1980年代から、「良い酒は冷やして飲むもの」という真偽不明の価値がバラ撒かれた。冷蔵保管している店側が、そのまま提供することの方が簡単で、そのために、そんな迷信めいたことを植え付けたのかもしれない。
日本酒は世界でも稀な、多くの温度帯で楽しめる酒だということを意識している人は少ない。
何しろ他には中国の紹興酒くらいしかないのだ。
しかも起源を辿れば常温か燗で飲んだ時代の方がはるかに長かった。
冷蔵庫などという気の利いたもが日常に登場したのは、はるかに下って、せいぜいここ数十年のことでしかないのだ。
確かに多くの銘柄を扱っている場合、常温(冷や)で提供するのは、品質管理上なかなか難しい。しかし、提供する側の言い訳はともかくとして、温度の違いを「楽しみ」の選択肢に盛り込まないのは、日本酒の未来を考える上でも、提供側の怠慢と考えても良いのではないかと思う。
日本酒の様々な温度帯を、それぞれに味わってみなければ損というものだ。
飲み方としては冷たくした方が、個性を隠してしまうケースが多いのも事実。
旨みを引き出すことと個性を明らかにすることは微妙に違う。だが、その結果をじっくりと堪能することを放棄しては、私たち酒好きとしての探究心と酒を愛する誇りに背くことになりはしないか。
熟成酒や濃醇酒はおおむね温めることで、まろやかさが現れ、潜んでいた香りもむしろ引き立ってくるケースが多い。
吟醸香の強いものは、舌に残る独特の甘さが目立たなくなる冷酒の方が、むしろ味わいやすい。もちろんすべての酒が基準に当てはまるわけではないことは前提としてある。だからこそ、いくらでも拡げられる日本酒の魅力を、横着と狭い思い込みでしまい込んでしまってはあまりに勿体無い。
さあ、本来の日本酒の世界へ新たに旅立とうではないか。
私たちの幸せは間違いなく倍増するだろう。
私たちの幸せは間違いなく倍増するだろう。