この記事の目次
大原から御宿へ
御宿は山に囲まれた立地で、昔は海に突き出した岩場の海岸線を通って町を出るか、北の山越えで大多喜に出るかのいずれかだったそう。今でこそトンネルが山を突き抜け、大原からも勝浦へも楽に行けるようになってはいるが、山越えの旧道はどこも狭く険しい。
御宿駅へ向かう角よりも手前の交差点を右へ曲がる。魚屋の前を通り、まさかと思うほど狭い道をまた右へ曲がると岩瀬酒造に到着する。
御宿・岩瀬酒造「岩の井」の蔵元
敷地への入口に唯一と言える看板があるだけで「岩の井=岩瀬酒造」と知っている人だけがわかる。
現当主、岩瀬能和は、11代目になります。先代の禎之氏(故人)は、戦前から海女を撮り続け、毎日新聞社主催の展覧会で、「総理大臣賞」を受賞した写真家でもありました。(代表作:写真集「海女の群像」)
※現在では御宿に海女は一人もいないそうだ。
蔵人の誰もが気軽に「こんにちわ」と声をかけてくれるが、居眠りをしていた猫には我々が迷惑だったようだ。のしのしと庭の奥へ行ってしまった。
酒蔵の事務室手前に商品を展示していて、そこで目当てのお酒を買い求めることができる。
御宿・岩和田
現在の御宿駅から「月の砂漠」の名で親しまれる長く白い砂浜の続く海岸までの町並みはそれほど古くはなく、昔の漁師町としての中心は、海岸をそのまま東へ向かったところにある岩和田という辺りだったと聞く。
翌日は朝から岩和田に向かった。
小さな漁港から北への緩やかな上りになったそこは、路地が入り組み迷ってしまいそうな町に旧家屋が並んでいる。海抜や地形から言えばこの辺りが最も津波の被害を受けにくかったのだろう。海岸から御宿駅への地域が一番低い場所にあるそうだから、自然と生きる昔の人はそんなところには住まなかった。
御宿の歴史や生活を知るには貴重なことと思えるので、時間と車があるなら岩の井を訪ねた後にここまで足を伸ばすのはおすすめだ。
岩船
ここまで来たからと、もう少し海岸線を北へ進み「岩船」というところまで進んでみることにした。
海と一緒に暮らすこととはこういうことかと思い知らせらされた気がした。
改めて海岸から離れて国道へ出れば、大原に近いことに気づく。
この後は勝浦の「腰古井」まで行こうと言うことになっていたのだが、急に方向転換となった話は次に…