4月5日に、ちょっとした仕事の付き添いで京王井の頭線の三鷹台駅まで出かけたついでに、散歩がてら井の頭公園まで。
のんびり歩いても10分ほどです。
東京都の開花宣言から約2週間になるというのに、井の頭公園の桜はまだ5~6分咲きといったところ。
この日は水曜日、時間は15時過ぎた頃。
満開の前にすでに歩道は渋滞状態。
木々の下はほぼ7割がた花見客で埋まっています。
弁天池もスワン型のボートで渋滞気味。弁天橋の方までボートの待ち客が並んでいます。
同行の友人は三鷹台まで行くのにJRから吉祥寺で乗り換えた際、駅構内で「何だか今日は人が多いなあ」と思っていたそうです。
この井の頭公園の風景を見て「納得!」でした。
私の目は、どうしても少し違うところに向きます。
見渡したところ、宴席のビニールシートの上には日本酒の瓶は見かけませんね。確かに花見の名所とは言え、平日にこの人出は驚きです。しかしその中に日本酒がないのは意外です。
やはり外で食事する際は飲むことがあっても、一升瓶を抱えて花見に出かけるという需要はないということです。
先日の仲間たちとの花のない花見には、新潟から「越乃白雁」の四合瓶を持ってきてくれましたが、さてさて、世間の花見酒とは、缶を開けてプシュッ!が一般的なのでしょうか。
花見という、長年培って生きた日本の季節の文化の中から、日本酒が消えてしまっては余りに残念です。だけどそれが現実だと、こうして思い知らせれると、日本酒の生き方にも改めて再考が必要ですね。
言わば、日常生活に存在しないということです。普段はアルコールを飲まない人の家庭に、日本酒は置いてあるでしょうか?たぶんないはずです。やはり日常生活にない以上、花見だからといって、その時だけ登場するわけもないですから、造り手側としてもこの辺の目の置きどろろを自覚することが大切です。
日常から消えてしまって、長生きすることなど叶いません。今も、祭りなどでは「奉納」として日本酒を見ることはありますが、これなども特別な時にしか過ぎません。ただ、辛うじて祭りの習慣として残っていると見たほうが賢明でしょう。私もこの「日常」に存在する日本酒の在り方を、今後はもっと考えて、提案してみることにします。