秋田の酒 きき酒会 酒どころの本当の立場とは

この記事の目次

 秋田の酒きき酒会

DSC_0011 (1)
3月9日 秋田の酒 きき酒会に行ってきました。

秋田といえば、米どころ酒どころ。
まさに日本酒の聖地のような印象もあります。概して秋田の酒は優しい、という感覚でお酒と地域の特徴を自分の中で定番化していました。そして、これに大きく外れた印象も今回はありません。これは、自分の価値観としても間違ってなかったのではないかと、少し安心してしまいました。

今回の会に参加して、秋田の各蔵元の新しいことへの挑戦も感じました。
これまで通りで良いと思っている酒造メーカーは少ないのだ、ということも改めて知った次第です。

 日本酒の現在

少し道を外れます。

これまでたくさんのきき酒会や試飲会に参加してきました。
若い頃は当然のように、「高価な酒」「大吟の特別酒」のようなものに心を奪われたものです。普段飲めるわけでもなく、もちろん買い求めることなどあり得ません。そして、そういうお酒に憧れもしました。
こんなお酒を毎日飲めたらどんなに良いのだろう…

美味しいお酒とは、何でしょう。
コストと手間をを掛けたから美味しいとは限りません。
大吟醸、純米大吟醸が美味しいと言われるから、それを求めれば間違いなく美味しいのでしょうか?
高い特Aの山田錦を使って造っているから特別上等の味にできるのでしょうか?
香りが秀でで華やかだから美味しいのでしょうか?
大吟醸だからこそ米の旨さを引き出しているのでしょうか?

いつの頃からか、自分の中で変わってきました。
私たちの周りでよく見られる、価値観の操作と同じように、日本酒についても、必要以外のものに惑わされているのではないか?
そして「大吟醸」でなければ、世界の他の酒には勝てないのか?
「私」が好むお酒は、毎日飲みたいお酒は、何なのか?
「私」の好みが、流行や誰かの勝手な道案内に任せっぱなしになってないか?

 閑話休題

元の道に戻ります。

今回の秋田のお酒は、私の「外道」を考える機会を改めて作ってくれました。飲食店の経営者をも対象にしたきき酒会ですから、儲けどころや普段飲みのお酒を並べてくれていた蔵元もあって、私はこれが何より一番の収穫だったと思います。

このきき酒会で、秋田の蔵元が並べてくれたお酒に、私の予想よりは遥かにたくさんの、普段飲みのお酒を揃えてくれた蔵元が多かった。

1.8Lで1,500円~2,000円の価格帯のお酒に有り難さは感じませんか?
そのお酒が値段なりだよね、ではなく、毎日の自分の一日の終りを、優しく彩ってくれる品質だとしたら、嬉しくないに決まっています。

正直言って、720mlのボトルで3,000円~5,000円前後のお酒に大した差などはありません。それだけの売価に見合うのかと言えば、答えはアヤフヤになります。
そこまで言い切ってしまうのは、実際失礼で、乱暴でしょうが…
そして、注目されるためには「流行り」を意識することは否めません。

今回、蔵元さんと話をしていて、やはり「高価な酒を買い求められるのは贈答用ですね」と言われた時は、自分の確信を喜んだものです。
贈答用にばかりプライドを注ぐのは、どこかおかしい。

 日本酒の復権は

日本酒の復権に期待するには、一般家庭で、普段用に買ってもらえる酒しかないと私は考えます。そこで穏やかな気持になりながら、食事と一緒に盃を傾けてくれる。場合によって調理にも使う。そういった日常に新しく食い込まないと、日本酒の未来は見えてきません。

本来、日本酒は「お神酒」として神様に奉納された歴史があります。
しかし、そのお供えした後は自分たちへの褒美として楽しんだはずです。非日常に祭り上げただけででなく、日常にもう一度戻して、根付いたものにしない限り、やはり日本酒の復権はありません。

だからこそ、1.8Lで1500円~2000円の普段のみのお酒に品質を求めている蔵元さんは、本物です。経営という部分でキレイ事は言えません。しかし、自分の事業が何のためにあるのかは重要です。その事業の未来、日本酒業界の未来、日本の未来を、私たちは声を大きくして語りながら進んで行きましょう。

そこで、普段飲みのお酒を蔵の柱にしようとしている蔵元さんこそ、「本物」だと私は信じています。さらに、酒どころ秋田で身をもって取り組んでくれる蔵元さんを応援することは、私たちの使命だと、確信することができました。