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米焼酎の魅力
焼酎ブームと言われてもう随分になります。
今は焼酎好きの人たちの幅も広げ、一定のところに落ち着いた感じだと教わりました。
酒好きとしてたまには焼酎もいただきますが、焼酎についてあれこれと語るほどの知識は、私にはありません。
そんな焼酎の原材料としてお馴染みの、麦、芋は本当に定着しています。しかし、意外と米焼酎の反応が世間で弱いように感じています。
確かに出回っている種類も麦や芋と違って少なく、話題を生んだものも比較にならないかもしれません。米を使うことから原価も他よりは割高になり、「安く飲める」という感覚からは、いくらか離れてしまうところもあるでしょう。
私が日本酒好きだということも手伝ってのことでしょうが、焼酎の中で私は米焼酎にはやはり一番興味が湧きます。今、人気の銘柄としては「白岳しろ」「鳥飼」や「川辺」でしょうか。日本酒メーカーとして有名な八海山の「宜しく千萬あるべし」という銘柄も結構見かけます。
米焼酎の魅力は、おそらく米の魅力を引き出すことがその魅力の本質なのだろうと理解しています。
やはり、米焼酎と言って忘れていけないのは、熊本の球磨焼酎です。
私が若い頃の球磨焼酎は、今のように飲みやすい焼酎では、決してなかったように思います。
蒸留の仕方の使い分けが変わって、減圧蒸留と常圧蒸留で随分と趣が変わってくることも確かです。
球磨焼酎「五十四萬石」
そんな時、ある試飲会で私が魅入られた米焼酎があります。
焼酎の歴史からも、球磨焼酎はひとつのブランドとして、その品位も価値も世間から認められた日本の財産です。
大袈裟にというか、殊更に持ち上げようとするつもりはありません。
味には皆さんそれぞれに好みがありますから。
私の中の価値観に米焼酎の好みの輪郭が決まっているのかもしれません。
どうしても日本酒と比較してしまうことと、個人の見解であることは、ご容赦ください。
試飲会やイベントなどで味見をさせてもらった焼酎は、お陰でたくさんあります。
そこで私が、「米だなあ」と思わず声を出してしまったのがこの「五十四萬石」です。
優劣を比較するのではなく、私が惚れた焼酎だと思ってください。
日本酒の人気と同じくして、まるで日本酒の吟醸酒のような華やかな香りが立つ米焼酎が評価せれているようですが、米の旨みを追求した米焼酎は案外少なく感じています。
そんな中で、この「五十四萬石」はまさに「米の酒」だと思いました。
素材の旨さを活かす、ということは結構難しいことでなないでしょうか。
料理も、美味しくしようと余計な手間や工夫を加えることで、美味しいけど素材の本質が見えなくなることは多くないでしょうか?
気取らず、そのままで、素材の米の旨さを存分に引き出した「五十四萬石」というこの焼酎の実力に、私は身に沁みて惚れてしまった次第なのです。しかし、悲しいかな東京ではほとんど見かけません。
気取らず、そのままで、素材の米の旨さを存分に引き出した「五十四萬石」というこの焼酎の実力に、私は身に沁みて惚れてしまった次第なのです。しかし、悲しいかな東京ではほとんど見かけません。
五十四萬石 その2 に続く…