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国の長の背負うもの
かつて「暴れん坊将軍」という人気時代劇があった。
今もテレビでは再放送などで流れているので、昔のファンだけでなく、目にした人は多いのではないか?
もちろんドラマのことゆえ、辻褄の合わないことなど当たり前にあることは承知しているが、酒の肴として少し取り上げてみたい。
上様とお奉行、め組の頭との密談?の場として、居酒屋(飯屋)での、酒をさしつさされつのシーンは定番だった。時代劇では欠かせないシーンとして、酒を酌み交わす姿は扱われることが多い。
町人長屋ではたいていに、徳利から茶碗酒。
居酒屋ではお銚子の燗酒と、相場は決まっている。
酒好きにしてみれば、そんな酒の場面を観るのも一つの楽しみ。
池波正太郎さん原作の時代劇では、酒の肴にも拘っているのは有名な話だ。
しかし、今回は「暴れん坊将軍」
ドラマでありフィクションだから、内容や筋立てに、細かく文句をいうような野暮な真似をするつもりは毛頭ない。
ただ、今の世と比べてみると、不思議な違いを感じることがある。
「暴れん坊将軍」が人気あるのは、やはり「勧善懲悪」の痛快さなのだろう。
毎回決まって、黄金色と美女に目がない強欲役人と、その権力を背景にして暴利を貪り、民百姓を平気で犠牲にする悪徳商人が出てくる。
そして、イケメンの上様が、民百姓の味方となって、強欲役人や悪徳商人を、最後にはバッサリとやっつける。
今の世の中でも同じようなことは、よく週刊誌ネタや新聞社の活躍によって、「国会」に野党が持ち出してくる。
最近はSNSも活躍してしまうため、ネットにもすぐに広がる。昔と違って、なかなか厄介なものだ。
最近はSNSも活躍してしまうため、ネットにもすぐに広がる。昔と違って、なかなか厄介なものだ。
そんな不祥事があれば、メディアはこぞってまくし立てる。
自らの販売数や視聴率が上がるのだから、これ幸いと、つい声も大きくなろうというもの。
劇中ならば、瓦版と噂話くらいですんだものが、今はその程度では収まらない。
現代のお上にとっては、まことにお気の毒なことが多い。
任命責任はどこへ
さてそこで、「不思議な違い」が、ハッキリとあるんだなあ。
どちらも同じく自分の配下部下であり、有能と自分が認めて国の重要ポストを託した人たちが、しでかしたことなのだ。 あるいは、そのポストを任せたがために、起こしてしまった場合もあるだろう。
なのに、その権力の頂点にある二人に対しての追及のしかたに、不思議な違いがあるのだ。 圧倒的な権力の上様と、民主主義の総理大臣。
- 任命責任をしつこく問われる 総理大臣
- 任命責任などはどこ吹く風の 上様
上様の吉宗公は、自ら市中に出て見回りをし、事が起これば、自ら体を張って先頭に立ち悪を退治する。だから任命責任など不要?
上様は自分が任命していても、その部下である家臣を庇い立てせず、決してウヤムヤでは終わらせないのである。
ただし、毎週出張らなければならないのだから、上様の忙しいこと極まりない。自分の任命した部下を次々にやっつけに行かなければならないのだから、それはそれは大変なことだ。肝心の政務など果たす余裕も生まれないだろうと心配になる。
それ故か、面倒をなくすために、全ては上様の正義の元、闇の中で始末されてしまい、暴れん坊の上様は決して任命責任で処分などされることはない。
致し方ないと、許してしまいそうな自分がいる。
致し方ないと、許してしまいそうな自分がいる。
果たして権力者として、どちらが良いのだろう、と比べてみたくなったりする。
ついつい、つまらないことを、徳利を傾けながら思いついてしまう。
大海の一滴とご容赦を願いたい。