「教えること」と「学ぶ心」

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自分の尺度に合わせる

居酒屋では季節に合わせたおすすめ料理や、スタッフの創作料理などを考案することは珍しくありません。そこで大切なのが、「こんな料理を作りたい」ではなく、「誰が食べるのか」です。

家庭でも、居酒屋でも他の飲食店でも、「誰が食べるのか」ということはその時の重要な課題のひとつです。もちろん、いくらの予算で作るのかは当たり前です。

ところが、条件を狭めてしまうと、どうしても発想までが狭まってしまいます。
ただ、家庭と飲食店で違うのは「いくらで売るのか」ということの有無です。ここで勘違いしがちなのは売りたい希望を通すことではなく 「誰が買ってくれるのか」を見極めることです。

20代前半の、居酒屋の調理担当者を集めて「自分が売りたいもの」をオリジナルで考えて料理を作って提案する、というテーマを与えるとわかることがあります。

ロール餃子例えば、豚肉に工夫を加えてカツにし、ボリュームたっぷりの料理を提案する人がいます。ランチタイムのトンカツ定食のカツよりも立派な料理です。

あるいは変わり餃子をドーンとお皿に丸く盛り付けて、オリジナルのソースで食べてもらうように。

料理の味に問題はなく、きっと売れるだろうという力作であったとしても、如何せん量が多すぎて商品になりません。実際に売るには、買ってもらうには、改善が必要です。

「そうか、教えてなかったなあ…」と私が気付くのです。

私が仕事をしていた店舗の中心客層は40~60代以上の方たちです。20代前半の作った本人が自分で食べるなら、これくらいがちょうど良い、という考えが先に出てくるのでしょう。
そこで、どう教えようかという自分への課題ができます。

教えることと学ぶ心

慣れない間や教育不足の時は全体を見渡すことができません。
自分の感覚と、自分の好みに頼るしかありません。
実はどう教えようと考えたこの時、教えられたのは私でした。
客層や客単価や看板料理や中心の飲み物、いわゆる店舗のコンセプトを徹底して話題にし、身に付けさせてやらないと、自分から周りを見て読み取り学習できる人はそう多くないということです。

どうしたって自分の尺度に合わせるしかない状態になります。相手の立場になって、お客様の立場になって考えることは、やはり自然に身につくものではないのです。料理ひとつでも、その向こうにあるものを理解できるようになって初めて、本質を見極め、本質に近づいていけるのです。真面目に日々の仕事を繰り返すだけでは限界があります。そこにどう工夫をし、何を肉付けしていくかは、やはりアドバイスが必要です。

自分が教える立場になって初めて気づくことは、自分が如何に知らないかということ。教えてあげたい人に、教えて欲しいと思ってもらうことの難しさ。私自身がたくさん失敗しました。

「教えること」と「学ぶ心」は実は同じです。知らないことは自分の尺度でしか判断できません。自分に合わせるしかないのです。そこでもう一歩踏み込んで必要なことを想像してみることはできます。
今自分が担当していることを、新人に教えられるだろうか?
こう考える習慣を身につけることができれば、「教えること」と「学ぶ心」を身につけることができると、私は思います。