隅田公園から浅草 花と観る

  隅田公園

東京の花見といえば上野公園や千鳥ヶ淵もよく取り上げられる有名所処だが、隅田川沿いの隅田公園の辺りも毎年商店会を中心にしたお店も並び、賑わいもかなりなもの。それも隅田川を望みながら花見ができるとあって、隅田川に浮かぶ花見に繰り出した屋台船さえがお互いの風景となって肴になる。この日は仕事の後の昼下がりのひと時を隅田川散歩と決め込んだ花見をすることで自分を労うことにした。


隅田川の堤から隅田公園に目を向けると面前の高速道路の上にとうきょうスカイツリーが頭をのぞかせている。そんな立地にある花見の名所は、今では半分以上の人が外国人ではないかと思える程の環境になっている。
これはこれで否定する気も何もなく、これが現状だと理解するには非常にわかりやすい。気温も上がり風もなく、のんびりと歩くにはモッテコイの気候とあってはこれほどの過ごしやすさはなく、この日、金曜夜の人出は大変なことになりそうだ。
それは商店会の設えた席の予約札の並び具合を見ただけで推して知るべしの状態で準備されている。

 酒は櫻正宗

先ほどの商店会の屋台を見ながら歩いていて見つけたのはカップ酒。まるでおでんの具のように鍋に入って薄い湯気を上げている。手前に並んだものを見ると「櫻正宗」のラベル。

誰もが知る銘柄ではないものの兵庫は灘の酒。
この季節にはうってつけの酒に違いない。やや熱めに燗をされたこの酒はご馳走だ。微かな川風と共に桜の花を仰ぐには絶好の供になる。東京で兵庫の酒を飲むことにそれほどの違和感を持ってもらっては興ざめになるので、そのへんは緩く見てもらいたいのではあるが、桜の花の下の櫻正宗は一つの絵になる。しかも燗をしてあることで柔らかさが増して時間までもをまあるく包んで穏やかな時が流れていく。良いもんだ、隅田川の花見はこれでまた格別なものになった。

 言問橋を渡る

そこから少し北へ歩き、見えてきた橋は「言問橋」これを西へ渡って隅田川を越えれば浅草寺の東側出る。
そもそも浅草といえば浅草寺の西側がその中心地ではあるものの、浅草寺こそが浅草だと思っている人は当たり前に多く、必ずしもそれを否定することもない。
従って、浅草寺の境内は今や日本人の古来からの居場所ではない。そう言い切ってしまうのにも憚りはあるのだが、町として「外国人」中心の在り方になってしまったのはやむを得ない結果だとしても、観光の波に町が溺れかけているように見えなくもないことを、どう理解すれば良いのか迷う。

今や定番となった観光アイテムの和服を身にまとい、場合によっては人力車に乗り、ツアーを満喫しているように見える外国からの人たちが、日本人にとっては既に全く日常でない和服や、味わった人も少ない人力車を「日本らしさ」として味わいたいと思っているとしたら、観光とは不思議なものだと私は改めて感じる。
毎年花を咲かせ続けてきた桜と雷門や本堂は、自分の下を通り過ぎる人間と歴史の中の様変わりをどんな目で見ていることだろう。

 ワンカップ専門の酒屋

浅草寺参道の脇道にワンカップ専門の酒屋がある。ブルーのLEDライトで棚を彩り、各地のワンカップ酒を際立たせていて、必要に応じて燗もしてくれっる。その場で立呑とは行きにくいが、片手に持って浅草寺周辺の散歩を決め込むにはなかなかに似合う。聞けば、売上は困ってない模様だけに、需要はかなりのボリュームであることが知れる。

駒泉(青森)

懐かしかった。
しばらくぶりに名前を見た。
選択肢はほぼ無限にあるのだが、今回の私は「駒泉」から目を離せなくなっていた。多くの方の意識に青森といえば「田酒」「じょっぱり」などが中心だった時代からは変わっている。隣に並ぶ「誠鏡(広島)」は色合いも相当に濃く、燗でこそ旨味が引き出されるのではないかと思える酒がこの酒屋には遠慮なく並んでいるのだ。

こういった酒を棚で探りながら、常温が良いか燗が良いかを思い悩み、自分の世界に引き込んでいきたいなら、この町は本当に良い。
浅草…ここに日本酒の地酒はある。
日本人の現実はないが、観光としての日本は間違いなくある。
歴史はどうあれ、これが浅草の、花見の、現在を表していることに疑う余地はない。
正しいかどうかの話ではないのだ。