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このまち、まるごと、古戦場
交流館に入って最初に目にしたのがこのパンフ。
タイトルが「このまち、まるごと、古戦場」
私は不覚にも、同じくこの近くが「壬申の乱」の古戦場だとは知らなかった。それは天皇家の皇位継承争いから端を発したわけで、家康と三成(豊臣秀頼)という、次世代の後継者を巡る争いとは若干違えど、やはり戦争というのは権力争いであって、「正義」の名を冠するのは屁理屈やお題目でしかないように見えてくる。
この交流館、最近の流行に配慮してか、大きく目立つ展示が2つあった。
石田三成と大谷刑部を模した鎧兜の展示だ。「写真はご自由に!」とあったので遠慮なく撮らせてもらったが、やはりお客様の求めるものを揃えることが基本なんだなあと、思い知らされた次第。
関ヶ原の合戦には諸説あるが、細かいところは別にして大まかの流れは世に知らされた通りだろう。この結果によって、実質は豊臣から徳川に実験が移ったのだ。忠義を掲げてはみたものの、無念、西軍は敗れた。
関ヶ原。
天下分け目の真ん中にあった地。
それだけに、この地には諸所の思いがうごめいているのかもしれない。
裏切り
そもそも勝敗は始まる前から決まっていたようなものだが、小早川秀秋の裏切りを明確な分岐点として終盤に向かった。
それだけに評判の悪い小早川だが、あろうことか「小早川秀秋」の名前が付いたスナック菓子を置いていた。
小早川秀秋・裏切りスナック
小早川秀秋・裏切りスナック
子孫の方々にはお気の毒な話でしかない。
裏切られて青ざめている武将がいっぱい入っている…という説明のように、青色の焼肉味という焼き菓子。
う~ん。
評価はしないでおこう。
面白いと思って、買ってくる私も失礼だが、ある意味絶句に等しい。
歴史のいたずらと言うにはあまりにも皮肉な菓子。
交流館のスタッフの方たちは気さくで、親切で、関ヶ原に集った武将たちにも詳しいようだ。車で来ている他のお客様と、そう思われる島左近の会話をしていた。
交流館を出て少し歩いてみる。
あまり時間がないので、周りの街並みを見た程度だったが、ひっそりと静かな町で、近くの街道を走る車の音ばかりが響いていた。
駅の改札口を通り、ホームに立った時、先ほどのスタッフの方に聞いておけばよかった、と悔やんだことができた。
「地元の人たちは東軍西軍、どちらの贔屓の方が多いのですか?」