くらかど酒店で「吟醸酒じょっぱり」

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 角打ち(かくうち)

とうに廃れたと思われていた「角打ち」が改めて注目されたのはもう10年以上も前になるだろうか。「せんべろ」という言葉とともに立ち飲み屋が多くなり、その頃から酒屋さんも店の一部を改装して次々に名乗りを上げた。
椅子を用意することなく立って飲ませる居酒屋と、店の一部に立呑のできるスペースを設けた酒屋の角打ちとは似て非なるものと私は考えている。ここを混同すると楽しみ方を間違ってしまう、いやそれぞれの良さを十分に楽しめない気がしてならない。
酒を注いでくれる人が違う。

地方によって呼び方は色々あるようで、酒屋の一角で立って飲むことを関西では「立ち呑み(字に注意)」、東北では「もっきり」という話も聞き言葉だけで区別することは難しそうだ。
何しろ「もっきり」は最近では升にグラスを入れて注ぐ提供の仕方をそう呼ぶことがほとんど。元々は升に目一杯の「盛り切り」から来た言葉だそうで、「角打ち」は升の角から飲むからという昔ながらの飲み方が言葉の元の意味だとすると、当初は同じ意味だったのだろう。
時代とともに酒をつぐ容器が変わったのに言葉だけが残ったのか?
酒屋の一角(いっかく)で飲むから角打ち(かくうち)だと言うなら、升の角(かど)から飲むので角打ち(かくうち)というのはなんだか矛盾している。
要はこんな話は、どうせ話自体が「酒の肴」と考えたほうが良さそうだ。

 閑話休題、話を元に戻そう。

居酒屋の従業員が注ぐのと酒屋の親父が継ぐのとでは違うのだ。
特に今では地酒を揃えた酒屋で角打ちをやっているところも増えたために、そのところはどうしても薀蓄に期待してしまう。
もちろん居酒屋の従業員も詳しい人が多いのは確かだが、アルバイトの全員にまで知識を求めるのは酷というものだ。
やはり、酒屋での角打ち(=立ち呑み)は居酒屋での立ち飲みとは違う期待を持てる酒屋を選んで行きたいと、私は思う。

くらかど酒店で角打ち

2019年5月から角打ちを始めた東陽町の「倉門酒店」。
私は「一杯ください」としか言わない。
何しろここの親父は地酒を扱って40年以上になるだろう。実際に酒蔵で仕事をしたこともあると聞いている。だから当然にこだわりも人一倍で、少々の酒好きが自分の知識で選ぶよりも、親父は膨大な経験と知識の中から選んで揃えた酒を置いているだけに、素直に任せるのが一番だ。

「これはどうですか?」
そう言って倉門酒店の親父が冷蔵庫から取り出したのが青森県の「吟醸酒じょっぱり」。
私も「じょっぱり」は知っていたが、その吟醸にはお目にかかったことがなかった。ラベルはいつもの見慣れた「じょっぱり」で親近感も馴染みもある。
この吟醸酒、キリリとした辛口でほのかな香りがまろやかさを加えて心地よい。あまり吟醸酒らしくなく香りをことさらに主張しない所が良い。

もうかなり前のことになる。
「田酒」の酒蔵の西田酒造店が体制を変えてそれまでの「喜久泉」の造りを大きく変更して吟醸の色合いを強めた頃、「田酒」も内容は変更されていて、倉門酒店の親父は首を傾げながら「うーん」と言っていた。
この日は吟醸じょっぱりの瓶を横において、
「最近では青森の酒はこれを勧めているんです。」と静かに教えてくれた。

 時の移り変わり

元来、この親父も私も華やかな吟醸派ではない。
何でもかんでも香りが華やかな方が良いと人気だった時代を過ぎ、その華やかさは幾分落ち着いてきた感はある。
そして今では一部で更に進めた酒造りになっているようだ。
「近頃では米を溶かして造るんですよ。」
「だから酒粕が出ない。」

大変な時代になったなったものだ。
賛否は横において20年ほどの間に酒造りは随分と様相を変えてきた。
画一化されて数値管理された工場で流れ作業のように造る。むしろ吟醸や大吟醸の方が造りやすいという事になっているらしい。
微妙なバランスが大切な本醸造酒をしっかりと造り込める酒職人は少なくなってきていると、以前に倉門酒店の親父が話していた。
こんな会話が楽しめるのは酒屋の角打ちならではだ。

私がよく出かけて参加した松戸観光事務所での「千葉県産酒フェア」での個性豊かな酒の数々は、この先ずっと並んでくれるのだろうか?
飲酒人口が減り、日本酒の出荷量は伸び悩んだまま。
どれを飲んでも大して変わらない、という時代になってしまうように思えてしまうのが私だけなら良いのだが。
東陽町の駅に向かいながら空の青さが目に染みていた。

コメント

  1. オブナイ より:

    くらかど酒店、ますます魅力的です。それにしても、酒蔵それぞれの個性や特徴が失われていく方向に日本酒が向かっているとしたら、それはまったく残念です。
    ちなみに、88蔵を誇る新潟の酒蔵は、自力では経営が難しくなり外部の資本で維持しているところが三分の一だそうです。でも、そんな蔵でも魅力的な酒を生み出しているところもあるので、一概に悪いとも言えません。ただただ、伝統的な酒造りの技術が継承されていくのを期待するばかりです。
    もちろん、工業的製造法を採っている蔵が悪い、と言うつもりもありませんが。

    • oh@tiger より:

      昔と変わることなく生き続けることが最も難しい業界かも知れませんね。
      しかし今も江戸の頃の酒造りで商品を提案しているところもあり、「昔ながら」は番外としての生き残り方になるのもやむを得ないでしょう。
      食の嗜好も変わり、アルコール離れば進む先に日本酒業界だけが昔のままではきっと企業としての未来を求めることは叶わないはずです。
      そんな中でこれから先に私たちはどんな日本酒にお目にかかることになるのか、楽しみにするしかないということでしょうか。