店主が下戸の酒屋さん その未来はどこへ

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 名物の親父さん

私が若い頃によく通った酒屋さんがあります。
ところが、今はシャッターが降りたままです。

このお店に通った頃は、私も日本酒にこだわりなど殆どなかった頃です。詳しく知らないことに加え、安く飲める酒が第一だった私の若い頃です。

もちろんビールは「高い」。
焼酎は先ず飲まない。
ウィスキーも選んだところで安くない。
合成酒との境目にあるような、一升1000円で手に入る日本酒が、我々仲間内のありがたい唯一に近い選択肢の果てでした。
今のように紙パックの酒などありません。
しかも、当時と同じ価格なら、今のパック酒の方が品質は遥かに上等です。

だから我々の味方になるべき、1000円のお酒を置いてくれていた酒屋さんは特に重宝でした。

実際には旨くもなかっただろうと思うのですが、味は記憶の向こう側へ置いてきています。しかしその当時、我々愛用の酒がそこにはあったのです。
その酒屋の親父さんは下戸でした。
世間話の時にそう言っていたことは今でも忘れていません。

どこかの他の酒屋さんに「酒屋はむしろ下戸の方がいいんだよ」と言われたことも、同時に思い出します。商品に手を付けないからだそうですが…

その下戸の親父さんは名物親父でした。
お釣りを渡してくれる時に、「はい、100万円のお返しです」と言って、100円をくれます。

お釣りは必ず4桁増えていて、金持ちになったような気分を狙ってのことだそうで、ニュースに取り上げられたこともありました。

 跡取りの不在

この酒屋さんには娘さんがいらっしゃいました。
その娘さんもよくお店の手伝いをして、店頭に立っていたことも覚えています。
私が少し離れたところへ引っ越したこともあり、そちらに通うことも稀になっていましたので、親父さんが体でも壊したのかと心配していました。しかし、先日遠くから姿を見たので取り越し苦労で済んだようです。
でも年齢は80代でしょうから、やはり跡取りのことでご苦労があるのかもと勝手に想像してしまいます。
他の記事でも以前に述べました。
街場の酒屋さんの深刻な問題は「跡取り」です。
どんなに一生懸命に商売をされていても、後の心配事はいつかやってきます。

別の親しい酒屋さんは独身で、「あんたのところは、継ぐ人がね…」と取引先の地酒の蔵元さんから言われて、先の商売がしにくい、と言っていました。

家業を継ぐには、その商売の未来がなければ、薦めるのも受けるのもお互いに躊躇します。義務感だけでは現実は味方についてはくれません。
私たちはこんな酒屋さんたちを守れるでしょうか?
コンビニに行かないで酒屋さんで、ということも難しい。
ひとりひとりが個別に考えたところで、たかが知れています。

時代が時代だから仕方ないと、諦めていいのでしょうか?

需要と供給のズレ。
個々で新しい需要を作り出すことは、相当な力が必要です。

いくらか離れた場所でも、「わざわざ」寄ってくれるという、特別な酒屋さんになることこそがコンビニやスーパーとの差別化になると思いながら、ブツブツ…

私が携わった居酒屋という商売も、この「わざわざ」がキーワードです。
この辺りに目をつけてみれば、何らかの解決策が見えてくるのではないかと、信じたい思いで一杯になります。