新年に東京での地酒イベントを考える

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 東京という特別な環境

明けましておめでとうございます。

新年に改めて日本酒を酒イベントから考えたいと思います。
ブームとは言わないまでも、「きき酒会」とか「試飲会」とか「味わう会」とかいって、東京では数多く地酒のイベントが開催されます。それも毎年参加者が増えているように見えるのですから、或いはブーム?と呼べる流れが出来つつあると考えた方が良いようです。

2016ふくしま美酒体験03
東京は日本の経済や政治の中心地ではあるものの、酒造りの中心地ではありません。そんな東京はマーケットとして日本最大というだけでなく、東京で売れるものが地方でも欲しがられるケースも多いために、報道もされやすくなります。日本酒の最大の購買層、飲酒層を抱える大都会と、造り手の多くが生活する地方とは、どうしたって埋めがたい乖離があると考えられます。

もちろん、地方の酒蔵が丁寧に心を込めて酒造りをしても、地元だけの消費分で経営を安定させるのは先が見えず、どうしたって大都会で暮らす人たちの飲酒シーンに頼らざるをえないのも事実です。また、大手の流通や飲食チェーンの目に止まり、全国展開となればありがたい話ではあても、これもまた小さな酒蔵では対応できる訳もなく、実際はコツコツと積み上げるしかないのが本当のところでしょう。

個々の酒蔵の事情は横に置くとして、結局のところマーケットはそれほど不公平になっているのです。地元にどれだけ愛されても、その規模は大都会に敵いません。首都圏に、関西圏に進出して支持された酒蔵が自分のマーケットを広げ、新しい主役になる。しかしここにも、当然のように流行り廃りで振り回されることだってあります。

獺祭50失礼ながら、新潟の「上善如水」が混迷したり、「久保田」のラベルを見る機会が減ったり、山口の「獺祭」が手に入りやすくなったりは、当たり前に起こります。

これでいいのか?とか、こんなもんだよね?と思ったりは不思議な事ではないし、繰り返されてきたことです。そして、そんな動向の中心にいるのが、やはり東京です。東京で受けて話題になりメディアに取り上げられれば、商品も動くのです。しかも、美味しいかどうかは主観でしかないために、話題を勝ち取る方が結果は出るはずです。だからこそと考えれば、東京でのイベントがより多く企画されるのも頷けます。

 造り手と飲み手の共同作業

ところが、無理もないことながら、参加する人たちはほとんどが個人のファンであり、いわゆる酒好きの集まりだったりが当たり前に見かけるケースです。しかし、若い女性を含め「好き」というレベルを超えて、しっかりとメモを取りながら回っている人も多いのです。

一時、やたらに華やかな吟醸香をプンプンとさせていたお酒がもて囃されていた時期もありました。そしてそれは、若い、日本酒に馴染みのない人たちの意識を転換させる契機となる役割を果たしました。昔ながらの、季節労働者としての「杜氏」さんが順次引退していく世代交代の時期に、東京農大などで醸造学を学んだ若社長が自ら杜氏となって、蔵の改革に取り組んだという経緯もたくさんあります。そんな方たちの多くは今現在40歳前後で蔵の跡を取り、今では有名蔵に育てたり、新しい挑戦をしたりと、頼もしい限りです。

しかしながら、その人たちが酒造りを始めた頃が、最も華やかな香りの吟醸酒全盛時代でした。だからなのか、酒造りの方向がどこも皆んな同じ向きに偏っていたようにその頃は見えたものです。どんな業界であれ、流行には左右されるのです。だからこそ、そこから何を学ぶかが結局は問われるのでしょう。

さて、私のように東京で多くの日本酒のイベントに接する機会を持てる人たちは、何をどう発信すればいいのでしょうか?もちろん一方通行にならぬように、イベントが多いということを噛み締めながら、また目論見を感じながら、そして、しっかりと見極めながら、時には騙され、念を押され、どう伝えていけばよいのかで迷うことがあります。

大袈裟に言えば、好き嫌いを語るだけでなく、機会を与えられる者の使命として、個人の意見ながらもビジョンを持って発信していくことができれば、日本酒の、まさに新しい未来が見えてくるかもしれないと信じることにします。