小倉・旦過市場から学ぶ

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 小倉駅前のアーケード商店街

昨夜美味しい時間をいただいた店「食彩・ぽぽ庵」のマネージャーは元小倉高校野球部で、来年の春の選抜に母校が選ばれる可能性があると、期待されていました。
そんな小倉の駅前にあるアーケードの商店街を歩いていると、足元の矢印とともに「旦過市場」という名称を刻んであります。これは聞いたことがあるぞ、と無意識にそちらへ向けて歩き出していました。

その時私が歩いていたのは「魚町銀天街」という名前だと知ったのは後になって。このアーケードの商店街を抜けたところに「旦過市場」の名前が見えてきました。

 旦過市場

朝の10:30を過ぎた頃ですから、人の賑わいはどうなんだろうと思ったのですが、あに図らんや。ぶつかる程ではないけれど、真っ直ぐには歩けないほどに人出があります。余りに人が多くて、メインの通りは写真を撮りませんでした。

食料品を中心の魚屋、八百屋、肉屋、惣菜屋といったお店がほとんどで、美味しいものが満載の商店街です。

眼を見張るような太刀魚、大きさも申し分ないサワラ。幾分季節からは離れてはいても、見るからに美味しそう。

今夜の鍋にこの辺の物をさらって行きたいホルモン。昨夜にもらった糠炊きの鰯バージョンもあります。漬物がまた垂涎物。こんな市場が街の真ん中のあって、観光客ではない人たちが寄ってきているのです。
しかし、角ごとに左右へ広がる市場も活気の強弱は歴然とありました。画像はその中心の通りからは外れた一角です。この人の集まる旦過市場を見て尚更のこと、市場が生き残る必要がどこにあるのか!という本質論から語る時代になってきていることは確かだと感じました。

 町の市場

しばらく前というよりも、40年ほど前と言う方がわかりやすいと思いますが、各地に「◯◯市場」という場所が普段の生活の中にたくさんあったのです。商店街の通りではなく、そこから一歩踏み入れるように八百屋さん、魚屋さん、肉屋さん、乾物屋さんが揃い、少ないながらも他に食材を扱うお店が揃っていたひとつの塊になった一角があったのです。この規模が大きいか小さいかだけで、そんな市場は珍しくなかった時代があったのは既に今は昔。

これは大規模小売店云々という法律の施行で、スーパーマーケットの進出の波から徐々に姿を変えていかざるをいなかった歴史があります。

結局は「対面販売」が成り立たない、いや、横に追いやられた時代に突入したことを意味しています。

まさにその対面販売の極致と言える旦過市場を抜けて、横の大通りに面したところを見るとシャッターの降りたところばかり。もしかするとこのシャターは開かないのでは?と思えるような佇まいが現実でした。

市場の存在価値を翻って見る時に、東京の「築地・豊洲」を例に取れば、その必要性の居所が見えてくるような気がします。流通の肝が変わってしまった今、「築地・豊洲」が信じたい幻の価値にしがみ付くように見えるのは私だけでしょうか。手本の市場を歩くことができました。

 市場の使命

たぶん今では、この市場の代替のように支持されているのが「道の駅」かも知れません。実際は大型食品スーパー化したところも珍しくないでしょうが、微妙に軸足の置き方が昔に近いところがありそうです。だからこそ、繁盛しているところとそうでもないところの差が「道の駅」でも顕著に見られるようです。

実際に、今更に市場が大型食品スーパーに逆転して取って代わることは不可能でしょう。これは小売店の現状を見ての話に過ぎません。ところが、ここに本質があるように思うのです。おそらく、これから先は大きく2つに別れていくように思います。スーパー、コンビニに代表される小売店と対面販売の小売店の両極です。
何かのアンケートで見たお客様が従業員に求めるものの順位。
第一位は「商品知識」だったのです。

これこそが対面販売の勝てるところなのです。しかし、最近の多くの対面販売のお店はこれを放棄しています。これでは大型食品スーパーなどには勝てるわけがありません。磨くべきところを再認識することで、「対面販売」の素晴らしさを売り物にできることを、私は期待してやみません。

旦過市場