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先ずは国技から
2017年の暮れ近くなって散々に話題を呼んだのが国技と言われる大相撲だった。事件としての問題は私がとやかくいうことではないので横に置くとして、テレビはどこのチャンネルに変えてもその話題の騒々しさは皆同じだった。
何の道具も使わず、体ひとつでできる競技で、しかもルールが簡単。長い歴史の中で神への奉納という意味も合わせ持ち、いろいろな立場や側面から問われるようになったのだろう。中でも江戸の頃に強い力士が藩に召し抱えられるなどして、興行としての面が最も注目されたのではないかと思う。そんな歴史や庶民の人気などの経緯から「国技」と呼ばれるようになったのだろうと理解できる。
ところが、今の貴乃花親方が入門した30年ほど前から、大相撲は大きく変わっていくことになる。他にもたくさんのスポーツが人気を上げてきて、子供の頃に相撲に興じることが減り、いろいろな体力自慢の少年たちが憧れる選択肢が増えた。日本人の少年たちにとって、お金の稼げるプロスポーツとしての大相撲は他と比べて魅力に乏しくなった。要は相撲を下支えする人口が激減したと考えた方が適当だろう。
そこで中途半端なルールと勝手なシキタリで外国人力士に頼らざるをえない状況を作ってしまった。わかっているのに認めたくないと言った方が正しいかもしれない。手遅れにならぬ前に、危機感をもって生き残る道を明確にすべき時だと、誰かが言い出すことをこわごわと待つだけのように見えるのは私だけだろうか。スポーツ好きの少年たちの夢となる姿は失わないで欲しい。
国営?放送の場合
日本全国のどんな山奥でもテレビを観られるようにと設備投資して、公共の電波を普及させることに大きな使命と意義があったNHKの歴史的価値は十分に尊重すべきだろう。もちろん国営放送ではないけれど、先ほどの大相撲にも多額の投資をし、ほぼ独占放送で支えてきた。
「そんなことしたら、今払っている人まで払わなくなる」と言うのだ。
衛星放送を含めて2ヶ月で4,500円ほどという料金を考えた時に見えてくるものがある。更にテレビの台数やスマホのワンセグにまで及ぶとすると、携帯料金を少しでも安くしたいと涙ぐましい努力をしている若者が多い時代に、果たしで妥当な金額だろうか?国酒=日本酒の場合
状況は深刻に迫っている。
40年ほど前から、アルコール飲料の選択肢は限りなく増え、飲酒人口は減る一方。どこにも追い風などない。輸出に活路を見出そうにも、まだまだ現実は遠い。ビールや焼酎とシェアを奪い合う中に、近頃ではウィスキーまでも盛り返してきて、日本酒業界はお先真っ暗の戦いをしている。
私たちが買いたくなるように、お金を払いたくなるように商品開発をし、販売促進にも力を入れている。
国の法律に守られ慣れた国営?放送には見えないことかもしれないが、国酒たる日本酒の生き残りを懸けた姿を取材することで、我が身を振り返ることはできないのだろうか?