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飲食店が悪者?
飲食店がまるで悪者だ。
2020年の初めから新型コロナで世界中が引っ掻き回され、日本では飲食店を悪の根源にすることで行政は責任をそこに押し付け、あとは国民が行政の「マスクをしろ」「出歩くな」という言いつけを守ることだけが国の方針の全てになってしまった。
何もしない政府なんだ。
人が出歩かない限り飲食店の商機は殆どない。
しかし、これほどまで感染予防に何の積極的な動きを見せない政府があるだろうか。マスクは絶対、自粛しろ、我慢しろ、人に会うな、リモート上等、と国でなければできないことは何もしない。
補助金の割り振りをどうばら撒くかしか頭になく、そのピンはねのような利権さへも誰の懐へ行くかのほうが重要とでも考えているとしか思えない。
こんな状況に追い込まれてしまうと、もう飲食店は生き残れない。
それでもなお、営業時間の短縮に応じない店舗にはペナルティーを設けようと、そんな議論もするらしい。
感染防止には席を減らせ、入店時は手指消毒のアルコールを用意しろ、体温測定も考慮しろ、アクリル板などで仕切りを作れ、お客さんは口にものを運ぶとき以外は常にマスクをしろ、入れ替えの時にもその度に徹底して消毒しろ。
これまででは必要なかった経費も飲食店は捻出しなければならない。
そしてさらにもう店は営業するな!となる。
ある意味、飲食店は非常にわかり易い例なのだろう。飲食店が感染拡大に果たしている役割に、近頃流行りの言葉で言えばどれほどの「エビデンス」があるのだろう。
いかにも飲食店だけが悪いように言われているとしか考えられない。
悪者に誤魔化されるな
結局、今の日本で新型コロナと戦っているのは医療に関係する人たちだけではないのか!
国の言うことを守って大人しくしていたところで、政府は直接には全く戦ってはいない。我慢、我慢と声を揃えて国民に強要するだけ。
きっとこ稼ぎ時の12月のはずが忘年会も壊滅だったに違いない。
繰り返すが、飲食店は人が出歩かない限り商機は殆どない。
ところがこれは同時に、人が動かない限り経済が停滞するのも同じことだ。
金をばら撒いて回復する経済などあるわけもない。
では、解決するにはどうしたら良いのか?
それには国としての戦いが必要なのだ。
答えは簡単で、人が安心して出歩けるようにすれば良い。
それこそが国としての戦いだ。
「感染している人が何処にいるかわからないのにそんなこと無理だ!」という答えが立ちどころに返ってきそうだ。
しかし、それには発想を逆にすれば良い。
「感染している人を外に出さなければ良い。」
そのためには何が必要か?
「国民全員に検査をして陽性の人を囲い込むことだ。」と、ここまでは誰でも簡単に会話になるだろう。
だがそこで立ち止まってしまう、どうせ出来もしない理想論だと。
そんなとんでもない数の検査をできるわけないだろう!と。
陽性になった人はどこに隔離するんだ!と。
そう、最初から無理だと決めつければ何事も無理になる。
今の法律では…と言いながらできない言い訳を探すことが目に見える。
だからこそ国としての戦いが必要なのだ。
大体多くの人は「変える」ことを嫌がる。
法律でもなんでも本当に必要ならば期限付きでもなんでも変えればいいだけだ。
でもそれは多くの人が望まないと決めこみ、手をこまねくだけで立ち尽くす。
そんな者こそがまさしく悪者だ。
誰かがやってくれることはない
飲食店は悪者になってしまった。
まさに感染源だと烙印を押されたようなものだ。
時短などしようがしまいが、感染が蔓延すれば誰も来てくれなくなるだけだ。
このままだと、どうせお客様など来なくなる。
感染拡大防止と経済の復旧の近道は飲食店の時短や自粛などでは決してない。
国民が望もうと望むまいと徹底した検査の実行で押え込むことが一番早い。
改めて「民主主義」とは何なのだろうと考える最高のチャンスなんだと思う。
どんな選挙も投票率が低いという現実が結局はこういう結果を招いてしまった。
今の政府にとって見れば、国民の「投票率が低い」「自分の意見を言わない」ことこそが望みなのだ。
新型コロナは、人間社会のあり方とそれを支える価値観の再構築に大きな寄与をしようとしている。
古い価値観のままやり方だけ変えて見た目を良くしようとして来たツケが、新型コロナのお陰で馬脚を現わし始めている。
「自分はよくわからないけど誰かが上手くやってくれるだろう」という考え。これこそが現在の政権を握っている人たちの思うツボなのだ。自分が黙っている限り誰かが自分(国民)のために有利にやってくれることなど何もない。
自分が能動的に人を選ばなければならない。
ダメな奴にははっきりとダメ出しをしなければならない。
これまでの利権を守ることと目先のことばかりにとらわれる政治家がのさばる国が、まっ先に迷路にはまり込む。
その国は立ち直れなくなることだろう。
政治判断というのが最も必要な時に、そんな責任を伴うことは真っ平御免とばかりにそっちのけにして、次はどこに利権をばらまこうかと考えているような、こんな政治家たちをいつまでもそのままにしている者こそが真の悪者だ。
私たちはそんな政治家をたくさん当選させてきた。
そんな私たちこそが本当の悪者だと、そろそろ自覚すべきだ。
変わる必要があるのは既存の政治家ではなく、それを選んできた私たちそのものだと理解しよう。
私には自分を含めてそう思わずにいられない。
グラスの向こうの景色は歪んでいないか?